浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

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京須偕充著「幇間(たいこもち)は死なず」


今日は、ちょっと、番外編。
表記の書評のようなこと。



著者の京須氏は、長年、ソニー・ミュージック(旧CBSソニー)で
圓生百席など落語のCDのプロデュースを手がけてこられた方。
また、1942年の東京神田生まれ。


氏の著作は「とっておきの東京ことば」(文春新書)
というのを読んだことがあった。
とっておきの東京ことば (文春新書)


幇間(たいこもち)は死なず」は副題の−落語に学ぶ仕事術−に
あるように、様々な噺を引用しながら、落語の世界で語られている
人と人のコミュニケーションは現代のビジネスでも役に立つ、
というような内容である。


京須氏の落語への造詣の深さは並大抵のものではなく、落語の作品論として
読むこともできるし、また、圓生師、志ん朝師などの
レコーディングなどを手がけられているので、細かい演出を例に挙げて
語られてもおり、演者論、落語演出論としても読むことができる。


「仕事術」といっているので商家の噺が多く、
そこもおもしろく、また、なるほど、と読むことができる。


中でも多くのページ数を割いている『百年目』などは、
噺としてはむろん知ってもおり、聞いたこともあるが、
後半部分が説教臭く、あまり好きな噺ではなかった。
しかし、これを、練れた大人の上司と部下のコミュニケーションとして聞けば、
なるほど随分と奥の深さがあったことを、知らされた。


そんな中でも、私が最も、同感したのが、
「小言幸兵衛」のくだり。


以前にもこのページで「小言幸兵衛」は書いたことがある。


好きな噺である。


ここで京須氏が語っているのは、大家の『幸兵衛が求めているのは、
相手に対する気配り』あるいは『相手への、その立場への尊重の気持ち』
だという。


そしてこれは、『幇間(たいこもち)の処世と根っこでつながっている』
という。


幇間(現代の幇間、サラリーマンも含めて)も
ただの世辞愛嬌、おべんちゃらではなく、
あたりまえのことだが、本当の意味で『相手を尊重して接すること』が
大切なことである、という。


この京須氏の主張は落語、というコンテクストを借りて
人と人とのコミュニケーションでの、相手を尊重する気持ち、の
大切さをいっている。


これは、私が毎度書いている(池波先生のいっていた)、
東京人の持っていた、遠慮と気遣い、ということにつながるように
思われる。


江戸開府以来、300年以上もの間、街であり、
大都会であった、江戸、東京にはたくさんの人々が暮らしてきた
という歴史を持っている。
そこでは、たくさんの人々が住んでいるからこそ
あたりまえのこととして、他者を思いやる、という
気風が生まれてくる。
それは、人が多いから、無用の争い、トラブルを避けるため、
と、いうこともあろう。


この気風は、(毎度で恐縮だが)
電車を待つのにきちんと列を作る、とか、
高速道路の合流は行儀よく一台ずつ交互に入る、など、
現代でも東京でしか見られないルールにつながってもいる。
(だから、東京ルールとして、路上喫煙もやめようよ!
またまた、筆が滑ってしまった。)


豊かで成熟した大人のコミュニケーション文化が江戸、
東京にはあり(あった)、それがわかりやすい形になっているのが
落語、である、ということ。


そして、そんな落語を、みんなもっと聞いてほしい、
というのが、私の主張、でもある。