浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



断腸亭落語案内 その36 桂文楽 心眼

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引き続き、文楽師「心眼」。

茅場町のお薬師様。
目を開けたいと、三、七、二十一日、満願の日。

梅喜、お賽銭を出して、祈る。

「へい。梅喜でございます。今日は満願の日ですよ。
 お薬師様ぁ!」

だが、開かない。
「お賽銭、毎日あげましたよ。
 タダ取り、ですか?。

 あ~。

 目が開かないんなら、一思いに、私を殺しちゃって下さい。」
  (大きな声。)

と、
 「おい。なにを言ってるんだ。
  おい、梅喜さんじゃないかい。
  なんだ、大きな声を、、
  おい!。」

  (肩を叩く)

梅「へい。
  どなた様です?。」

 「あ!、、、おい、お前、目が開いたね!。」

 (自分の両掌(てのひら)を見つめて。)

  え?!。

  あ!。

  へ~~~~、目が開きました!。

  目が開きましたが、、、あなたは、どなた様で?。」

上「いや~~、不思議なことがあるんだね~~。
  私は、馬道の上総屋だよ。」
梅「あ~、あなたが上総屋の旦那ですか。
  あなたは、そういう顔でしたか~。」
上「なんだい、そういう顔だ、てぇのは。

  人間の一心てぇのは、おそろしいものだね。
  
  もっともね、お前さんとこのお内儀さんがね、
  自分の寿命を縮めてもお前さんの目を直そうって、
  一生懸命信心をしたって、話しを聞いたが、
  夫婦の一念が届いたと見えるんだね~。

  この先も、信心を怠ったらいけないよ~。」

馬道の上総屋は、これから馬道の家に帰るという。
じゃあ、一緒に連れてって下さい、と梅喜。

目が見えない頃は、なんなく歩くことができたが、
目が開いたら、急にどこがどこだかわからなくなった、と。

上「は~、そんなもんかね~。」

 (お薬師様へ。
  パンパン、と手を叩く。)
 (当然、お薬師様はお寺である。文楽師は二回軽く柏手を打っている。
  手を叩くのは神社というのが今、うるさくいわれるが、以前はかなり
  いい加減であったのか。おそらくお寺側ではなく、神社の側の差別化
  戦略であろう。ともあれ。)

梅「ありがとう存じます。
  このご恩は決けっして忘れません。
  いずれお竹がお礼参りに参りに伺います。
  ありがとう存じます。

  (上を見上げて。)

  なんです、旦那これ?。」
上「これ、納め提灯だ。」
  (雷門にぶら下がっている、赤いあれ。)

二人、歩き始める。

  (梅喜、杖を突いている。)

旦那に指摘される。
梅「長いこと、クセになってるんですね~。
  旦那の前ですが、この杖てぇものにも、長いこと厄介に
  なりました。あたくしねー、これ、家にお祀りしたいと
  思います。

  あたくしはね~、うれしくって、うれしくってねー。
  早く帰りたいって。

と、急に、目の前を人力車が通る。
梅「あ~っと。(大きな声)
  あー、びっくりした。
  
  旦那、なんです?今、す~っと通った。」
上「あれは、お前、人力だよ。」
梅「あー、そーですか。
  あたくしどもの子供の時分にゃ、あんなものなかった。
  (生まれながらの盲人ではなく、子供の頃には見えていた、
   という設定。)
  よく家内がね、お前さん、車が危ないからって、出るたんびに
  そいってくれました。
  乗ってるのは女のようですね。」
上「芸者だよ。」
梅「あれが!。そーですか。
  あたくしにはわかりませんが、いー女のようですね。」
上「いい女って、東京でなんのなにがしって、一流の、指折りの
  芸者だよ。」
梅「あれが。そーですかねー。
  旦那ねー、つかぬことを伺いますがね、あたくしどものお竹ね、
  お竹と、今の芸者とどっちがいい女ですかね?。」
上「オイオイ!。ヘンなこと聞いちゃ困るよ。
  つもっても知れそうなもんじゃないか。」
梅「そいじゃ、なんですか?。私共のお竹の方が、いくらかまずぅ
  ございますか?。」
上「おい!、図々しいこと言っちゃいけない。
  今の芸者は、東京で指折りの芸者だ。
  お前さんとこのお竹さんは、、、
  お前さんの前では、言いにくいけど、東京でなん人という指折りの
  まずい女だ。」
梅「そんなに私共のお竹はまずぅござんすか?」
上「人の悪口に“人三、化け七(にんさん、ばけしち)”なんてぇことを
  言うだろ。ホントのこと言うと、お前さんには悪いけど“人なし、
  化け十”と言って、人間の方に籍が遠いんだ。」
梅「“人なし、化け十”ですか~。そーですかねー。
  へ~~。知らないってぇのは、しょーがない。長いこと夫婦に
  なってたんだから、、、。
  旦那の前でござんすが、みっとものうござんすねー。」
上「おい!。
  ふざけちゃいけない。人は目より腹、心。
  いくら顔かたちがよくたって、心立てが悪かったひにゃ、なんにも
  ならない。
  お前さんとこのお竹さんは、心立てから言ったら、東京はおろか、
  日本になん人といって指を折ってもいいくらいのもんだ。
  実に聞いてるけど貞女なもんだ。お前さん一人に稼がせちゃすまない。
  夜、寝る目も寝ずに、仕事をしてお前さんの手助けをする。
  第一、お前さんに※ツルを返したてえことがない、てえじゃないか。」


※「ツルを返したてえことがない。」
この部分、このように聞こえる。「ツルを返す」は文脈上、口答えをする
という意味であろうと思われる。ツルは弓の弦であろうか。辞書を引いても
この言葉は発見できなかった。

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その35 桂文楽 よかちょろ~心眼

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さて。文楽師「よかちょろ」なのだが
もう一つ、せっかくなので若旦那について、ちょっと考えてみたい。

書いたように、落語の主要登場キャラクターの一つである。

ただ、若旦那でもよく見ると色々いる。

例えば「酢豆腐」の若旦那。
これはキザで嫌味な奴として描かれる。
これも文楽師は演った。

また、文楽師の十八番(おはこ)だが「明烏」の若旦那は
うぶで真面目なキャラクター。

同じく、文楽師の十八番の「船徳」は勘当になって船宿に
転がり込んでいる。あまり性格は深くは描かれていないが、
今回の「よかちょろ」に近い、調子はよいが嫌味のないタイプか。
(そう、文楽師の人物表現にはほぼ嫌味がないのである。これは
師の大きな特徴であろう。)

やはり、文楽師、幇間(たいこもち)と並んで
若旦那ものも多い。

前に書いた円生師の「松葉屋瀬川」。
http://www.dancyotei.com/2019/may/rakugo6.html

真面目で勉強家で、ちょっと設定が「明烏」の若旦那にも近いが、
放蕩後、後半は人が練れて、今回の「よかちょろ」の若旦那にも
近くなる。

若旦那も吟味をすると、性格は色々あるが、まあ共通するのは、
あたり前だが、大店の跡取りで、お金があるということ。

そして、多くは放蕩、道楽者。
放蕩、道楽者、多くはお金のある若旦那がティピカルな
キャラクターとして出てくるのは江戸・東京落語の特徴であろう。

書いているように全員が嫌な奴では必ずしもなく、ある程度肯定的と
いってもよい描かれ方をされている。「よかちょろ」「松葉屋瀬川」
などである。
放蕩自体はよいことではないが、それによって世間を知り、
人間が練られる、という評価。

これは「江戸っ子」論のようなことにもなってくる。

前にも書いているが、江戸ではまず「通(つう)」という人々
というのか、コンセプトができた。
天明期、田沼時代といってよい頃。17世紀後半。
江戸落語が生まれる前夜である。

大店、といっても、蔵前の札差など一握りの最上層町人。
吉原で派手に遊び、また歌舞伎の大贔屓筋となったり。
須田先生は「通人文化」(「三遊亭円朝と民衆世界」)などという
言葉を使ったが、有り余る金を振りまき派手に振舞う。

このあたりがまず江戸文化のベースといってよいだろう。
落語の若旦那のキャラクターもここが起源であろう。
町人が派手に振舞う「通人文化」は寛政の改革などで弾圧されるが、
このあと、文化・文政期に「粋」というコンセプトに変化する。

「粋」はケチ、吝嗇(りんしょく)、しみったれを嫌う。
派手に金を使うことをよしとする風潮は変形しながら引き継がれて
いったといってよいだろう。
もちろん「粋」はただ自らを派手に見せるために金を使う、
のではなく、ケチではなく、出すときには出す。特に人に振舞う
ことに軸足がある。

江戸期から明治の寄席のお客の多くは、裏長屋に住む職人層で
あったと考えてよいのであろうが、若旦那や商家の噺も落語には
少なくない。商家の旦那も若旦那も手代も小僧も裏長屋の職人
とは特段対立する関係ではなく、同じように寄席のお客であった
のであろう。
特に、文楽師の立ち位置は、八っつぁん熊さんなどの裏長屋の職人
よりもこちらにあったように思われる。

今の下町の祭りなどを見てもこれはわかる。
私の住む元浅草、鳥越祭でも、おそらく隣の三社祭でも、職人の
家も、会社を経営している家、昔でいう大店も共に祭に参加するし
町会の役員も同じように勤め、共に盛り上げることが普通である。

ともあれ。
これが、江戸・東京の下町の文化で、それが落語に反映し、
若旦那というキャラクターとして生きてきた、ということが
できるように思われる。

江戸・東京落語は単なるお笑い、演芸に留まらない、江戸・東京
下町の人々の生活、信条、文化を担い、継承してきたものであると
いうことは、改めて書き留めておかなければいけないことである。

さて。
文楽師、「鰻の幇間」「よかちょと」とみてきた。

次。
「心眼」をいってみよう。

文楽師にしては珍しい、そこそこの長編。
いや、実際には全編で20分ちょいで、長編ではなく、話しとしては
むしろ短い。滑稽な一席ものというのではなく、ドラマ性が高い
といった方が正しい。

盲人の噺である。
同じ盲人の噺である「景清(かげきよ)」も文楽師は演っており
こちらの方が有名であろうが、あまり知られていないであろう
「心眼」の方が私は好きである。書いてみよう。

円朝作。円丸という盲人の音曲を演る弟子の実話から作ったと、
枕で説明をしてやはりすぐに噺を始める。

盲人で按摩(あんま)をしている梅喜(ばいき)が主人公。

東京が不景気で横浜へ按摩の出稼ぎに行っていたが、横浜も
不景気で稼ぎにならず、歩いて東京浅草、馬道の自宅まで
帰ってくる。既に鉄道が通っている時代設定。

~~~~
前に触れたが、明治10年代、松方デフレの頃と思われる。
~~~~

帰ってくると、内儀さん(かみさん=名はお竹)の前で泣き出す。
横浜には弟と行っていたのだが、稼げずに弟と喧嘩になった。
「ドメクラ、食い潰しに来やがった。」と。
あの弟は俺が育てたのだ、あれはその兄にいう言葉では
ない。悔しい。
なんとか、この目が開かないか。
信心をしよう。茅場町のお薬師様、と考えながら、横浜から
歩いてきたという。

~~~~
茅場町のお薬師様というのは、東証の近所に今もある、
智泉院というお寺。以前は眼病のご利益があると願掛けをする人が
絶えなかった。
~~~~

梅喜は、眠りに着く。

翌朝から杖にすがって、浅草馬道の宅を出て
茅場町の薬師様へ、三、七、二十一日の日参(にっさん)。

ちょうど満願の当日。

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その34 桂文楽 よかちょろ

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引き続き、文楽師「よかちょろ」。

~~~~
 (手拍子)

  (唄)
  はぁ~~
  女ながらも まさかの時は は は よかちょろ
  主(ぬし)に代わりてぇ たま襷 よかちょろ すい~のすい

  きてみて知っちょる 味ぉみて よかちょろ ひげちょろ
  ぱぁっぱっ

  これが、四十五円。」

旦「馬鹿!。飽きれたね。

  おいおい、婆さん。お前そこで笑ってちゃだめですよ。
  倅がよかちょろを四十五円で買やあ、婆、喜んで笑ってやがる。
  お前さんが親なら、私も親です。二十二年前にお前の腹からこういう者が
  出来上がったんです。恥じ入りなさい。畢竟、お前の畑がわるいから
  こういう者が出来上がるんです。」

婆「お父っつあんは幸坊(こうぼう)が道楽をすると、なんぞというと
  あたしの畑、畑と仰るけど、あなたの鍬(くわ)だってよくない、、」
旦「な、なにを馬鹿なことを。」
婆「いいじゃございませんか。なにも孝太郎が他人のお金を使やぁしまいし、
  自分のところお金を自分で喜んで、機嫌よく使ってるの。
  それをあなたがお小言を仰るというのは、、、」
旦「なにを、言ってるんだ。
  倅が、道楽をして、親がほめている奴がありますか。」
婆「ほめやしませんけど、あなたと孝太郎とは年が違います。」
旦「あたり前ですよ。親子で同い年てぇのがありますか。」
婆「そうじゃございませんか。あーただって、二十二の時がございました。
  あなたが二十二、私(あたくし)が十九でご当家にお嫁にまいりました。
  その時に、お父っつあん、三つ違い。
  うふっ、いまだに三つ違い。」
旦「な、なにを、馬鹿なこといってるんだ。」

若旦那、ご勘当になります。
よかちょろという、馬鹿ゝゝしいお笑いでございました。


ここまで。
17分。
略、なしですべて音から起こしてしまった。

「よかちょろ」としては、文楽師以外では、談志家元が演った
という程度であろうか。
あまりこの形では演る人はいなかった。
今ではほぼいないのではなかろうか。

「よかちょろ」というのはそういう意味では珍しい噺である。
この噺は「山崎屋」というちょっと長い噺の冒頭部分を独立させた
ものなのである。
円生師(6代目)によれば上下に分けて演られていた上を改作した
ものという。今の「山崎屋」では上の「よかちょろ」部分は演じない。
(「円生全集」青蛙房)(談志家元が通しで演じている音がある。
また、私は雲助師のものを聞いている。)

ただ「よかちょろ」という形でも明治に既に速記があって、
新しいものではない。
速記は明治40年(1907年)、前に「火炎太鼓」のところで出てきた
初代三遊亭遊三のもの。

この人が「山崎屋」から改作、独立させたという。(「口演速記明治
大正落語集成」)

銭勘定も「山崎屋」は両だが「よかちょろ」は円で、時代設定は
明治といってよい。

文楽師のものは初代遊三のものから構成は変わらないがさらに
整理されている。年代的に、初代遊三師からダイレクトではなく、
間に誰か入っているのであろう。

噺の冒頭に「間にはさまって」とあったように、短い噺なので
文楽師がトリでない場合に演るものの一つであったのであろう。

“よかちょろ”という唄は、一般に明治の俗謡という説明がされる。
特にこの噺が作られた明治40年頃に流行ったという。

これは確認ができていないのだが、数年前の幕末の長州が舞台の
NHK大河「花燃ゆ」で出てきた記憶がある。原曲というのであろうか、
元は、幕末の長州で唄われていたものではないかと思われる。
長州藩が欧米列強に砲撃をした下関戦争後の萩。

「女ながらも まさかの時は は は よかちょろ
主に代わりてぇ たま襷 よかちょろ すい~のすい」

という部分がある。下関戦争後、藩士達は萩にはおらず、
下関の次に萩が砲撃されるのではないかとのおそれから
台場など防衛施設を、残った女達が出て急遽作ったという。
この時に唄われたと、唄とともに放送されていた、記憶がある。
語尾も~しちょる、で長州弁のように聞こえる。

この長州の唄が、明治に入り長州出身の新政府の役人らによって
新橋あたりの花柳界に伝わり、お座敷唄として歌詞も変化して
唄われたのであろう。

さて。
この噺、全部書き出してしまったのだが、文字にして伝わった
であろうか。

いわゆる道楽者の若旦那の典型のような噺である。

若旦那、番頭、旦那とそのお内儀さん(お婆さん)の四人の
キャラクターがとてもクリアに表現されている。

特にやはり、若旦那であろう。
この噺に近いもので文楽師も演った「干物箱」などの若旦那も
共通している特有のキャラクターであろう。
この若旦那の表現が嫌味なく、きれいに完成させたのは、文楽師の
功績といってよいのではなかろうか。
金持ちの放蕩息子で、パアパアした頭空っぽ、にも描けるし、
キザで嫌味(ドラえもんスネ夫のような)にも描けるが、そうでは
ない。

そしてこの噺の肝は本文にも書いたが、ひげ剃りの部分。

「吉原の角海老の三階の角部屋・・・ここに猫がいたりいなかったり。」

“猫がいたりいなかったり”である。

この噺は、ここが聞きたいから、聞くといってよいところである。
まったく傑作。
明治40年の速記を読むとちゃんとこのまま、既に出ている。
文楽師など後の創作ではなく、初代遊三師(またはそれ以前)には
できていた、のである。

このセンス。素晴らしいではないか。
欠伸(あくび)を教える「欠伸指南」にも共通するような、
のんびりとしていて、洒落たおかしみ、豊かな時間が流れている。

この“猫がいたりいなかったり”のよさは談志家元も言っていたし
やはり愉しそうに演じていた。

江戸・東京落語の奇跡といってよいのではなかろうか。
「悪党の記憶」も江戸・東京落語の本質であれば
“猫がいたりいなかったり”も江戸・東京落語の神髄であろう。
後世に伝えていかなければならないものであると思っている。
そんな意味でも「よかちょろ」は「山崎屋」の一部ではなく
「よかちょろ」として演じられて然るべきである。
談志家元亡き後「よかちょろ」単独ではあまり演じられていない
ようだが、是非現役落語家の皆様、ご一考いただけまいか。

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その33 桂文楽 よかちょろ

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引き続き、文楽師「よかちょろ」。

~~~~
旦「よーし!。この野郎。あー言えば、こー言うといってな。
  なんでも親に口返答(くちへんとう=口答え)をしやがって。
  よーし!。
  今、お父っつあんが、ここで書き取ってやるから。
  その代わり、なんだぞ。お父っつあんが付けて、十銭でも無駄が
  あったら、承知しないぞ。」
若「ええ。ただの五銭もございません。」
旦「なんとでも言え。
  親を馬鹿にしやがって。
  幸太郎。お前さんはね、わるい癖があっていけませんよ。
  遊(あす)びでもして帰ってきたら、親に小言を言われたら、
  しおれてるとか、、、
  親に口拳闘しやがって。
  
  (筆を持って書こうとするが、、書けない仕草。)

旦「筆の頭がない!」
若「お父っつあん、さかさまです。」
旦「どこ?、、、?
  
  そんなことは知ってますよ。
若「今、ないと仰った。」
旦「リョウ・ホ・ウにない、ってんだよ。」

旦「言ってみろ!。」

若「ひげ剃(す)りが五円と願います。」

旦「なんだい?」

若「ひげ剃りが五円と願います。」

旦「なん人のひげ剃りだい?。」
若「私、一人です。」
旦「お前はね、商人(あきんど)の家に生まれて、勘定がわからないか、
  おい。
  三十銭出せば、面中(つらじゅう)ひげでもあたってくれる。
  五十銭出せば、きれいに刈り込んで、耳掃除をしてくれて
  爪まで取ってくれて、、、

  手前の、その、泥鰌っぴげ!。」

若「え、へ、へ、へ。
  お父っつあん、入れ歯が落ちました。」

旦「いちいち、いちいち、親を馬鹿にしやがって。」

若「お父っつあんが仰るね、その三十銭、五十銭のひげ剃りというのは
  普通の床や。
  あたくしのは、そうじゃない。

  [角海老]の花魁の三階の角部屋。

~~~~~
角海老]は吉原の妓楼。木造三階建てである。
~~~~~

  十二畳の座敷。
  縮緬(ちりめん)の座布団をあたくしは二枚敷いて、
  前に、百三十五円という姿見(すがたみ)がある。
  ここに花魁がいます。
  ここに新造衆(しんぞしゅ)がいる。
  後ろに床やの若い衆(わかいしゅ)が立ってよう、と。
  前に金盥(かなだらい)があって、これにぬるま湯が入ってる。
  ここに豆どんが居眠りをしてます。

~~~~~
新造衆も豆どんも花魁付きの女の子。
~~~~~

  ここに猫がいたり、いなかったり。

  (このフレーズはこの噺、最大の傑作。)

  で、あたくしが、花魁の部屋着を着ちゃう。
  で、花魁のしごきを締めて、
  懐手(ふところで)をして、こういう形になってる。
  反身(そりみ)になってる。

  こ(う)いった形になってる。

  お父っつあん、お父っつあん、ご覧なさい。」

旦「見てますよ!。」

若「と、花魁がね。

  若旦那。あーた、ひげひげと仰るけど、ひげのある方が、いいのよ!。
  いやに、若返って、浮気でもしようと思って。
  あたしが湿(しめ)してあげますから、こっちをお向きなさい。
  あたしが湿してあげますから、こっちをお向きなさいって。
  強情ね!。
  あたしが湿してあげますから、、こっちをお向き、って。」

  (また、仕方話。旦那の顔を向かせる。)

旦「なんだって、あたしを向けるんだよ。」
若「花魁が私を向ける。」
旦「お前があたしを向けることはないじゃないか。」
若「でも、話しの情愛。」
旦「情愛なんざ、どうでもいいんだよ!。」

若「花魁が、ぬるま湯をこう、あたくしの顔、、」

旦「ちくしょう、人の顔撫ぜやがって。
  じゃ、ひげすりの五円ってなぁ、いいよ。
  後はなんだ!。」

若「後は、よかちょろを四十五円(しじゅうごえん)と願います。」
旦「よかちょろ、、、、?舶来もんかい?」
若「いえ。こちらのもので。」
旦「どうせ、貴様の買うもんだから、ろくなもんじゃなかろう。」
若「いえ。ごくおためになる。お座敷向きに使います。
  安いもんで、儲かるもんでございます。
  
  実は、お父っつあんにお願いをして、安い時にうんと仕入れようと
  思ったんで。へえ。
  遊んでおりまして、かえって申し上げて、お腹立ちがあると
  いけないと思いまして、差し控えました。」

旦「ふ、ふ。お前は、そういう馬鹿だ。
  言われなくてもいい、小言を言わてやがん。
  そんな安いもんで、儲かるもんなら、裏の蔵が空いてるんだから
  うんと仕入れる、てぇやつだ。

  ふ、ふ。
  小言を言うようなものの、でもいいところもあるよ。
  お前は、それでも商人の倅だ。
  そうか、そこへ気が付いたか。

  そんな安いもんで、儲かるもんなら、お父っつあん、見たかったな。」
若「じゃぁ、ご覧に入れましょうか。」
旦「そこにあるのかい?」
若「ええ、ええ。」
旦「なんだ、馬鹿な。じゃ、見せなさい。」
若「へえ、じゃ、ご覧に入れます。

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その32 桂文楽 よかちょろ

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引き続き、八代目桂文楽師「よかちょろ」という噺である。

~~~~~~
若「それが、お前は素人だ、てんだ。
  ナカの花魁から半年預かってるんだ。」
番「なんだって、あーた、預かってるん?」
若「俺は、預かりたく預かってるんじゃない、向こうが預けるんだ。
  
  で、花魁が言うのにはね、

  若旦那、早くあーたと一緒になりたいと思うけど、今、一緒になると、
  たいへんにお金がかかる。
  若旦那にはこれまでも随分お金を使わしてる。さ、一緒になりたい
  から、またすぐお金、といっては、あんまり冥利がわるい。
  ですから、後生ですから、半年辛抱してください。
  半年経てば、私の身体も楽んなる、そーすれば、お金を使わずに
  一緒になれる。それまでは、あーたのお身体はあたしの物ですから
  あなたにお預け申します。
  その代わり、三日目には必ず顔を見せてくださいましよ。
  確かにお預け申しましたよ。お大事になすって下さいましよ。
  よろしゅうございますか。若旦那、よくって。

  て、へ、へ、へ、、、、、へー、、、」

  (若旦那泣きだす。)

番「泣かなくたってようがす。」
若「三日目の約束だから、花魁にこの顔を見せるよ。
  するとこの顔に傷ができてる。
  花魁が承知しないよ。

  若旦那、どうなさいました、そのお顔の傷は。
  どなたと喧嘩をなすった?
  あなたの身体ではございません。
  あなたに半年お預け申した身体でございます。
  他のとこなら我慢ができます。
  お顔の傷は我慢ができません。
  さ、どなたと喧嘩を?相手を仰(おっしゃ)い。
  黙ってちゃわからないじゃありませんか。

 (番頭の胸倉をつかむ、、いわゆる仕方話。)

番「あなたはね。お話しはよこざんすがねー、
  その、仕方話は、いけません。
  痛いよ、あーた。」

若「花魁、怒っちゃいけない。
  あたしは、友達と喧嘩をする、そんな野蛮な人間じゃないよ。
  実はこれは、親父にぶたれたんだと、こういうと、
  花魁がまた承知しないよ。

  なんて親です、そんな親がどこにあります。
  現在の我が子に、傷を付けるとは、なに事です。
  親父というものは、人間の抜け殻でございます。
  死なないように、ご飯をあてがっておけばいいのです。
  そーいう親父は片付けて下さい。
  (声が大きくなる。)
  親父は人間の抜け殻でござい、、。」

旦「番頭ぉ~~~~~~~~~~!」

番「ますます、ご立腹ですよ。
  早く行って、お詫びをなさいよ。」
若「行くよ。
  
  じゃ、こうしとくれ。
  親父んとこいくからねー、お前あたしの後ろに座っといてくれ。
  でね、あたしが親父を、トン、トン、トン、とやりこめるよ。
  と、親父が悔しがってね、煙管へ手が掛かったな、と思う途端にね
  俺がパッと体をかわすからね、お前が首をヌーッと出す。
  で、お前の頭を心持よく、スポーンといく。」
番「若旦那、せっかくの思し召しですが、わたくし、御免被
  (ごめんこうむ)る。」
若「御免被るって、お前、やに遠慮深い」
番「遠慮しますよ。あーた。
  痛いもの。」
若「痛いったって、そんなケチな頭。」
番「ケチな頭だって、痛うがす。御免被ります。」
若「タダはぶたせないよ。
  ポカっとくれば、現金二円やるよ。」
番「はーはー、ポカ殴り現金二円。
  請け合いましょ。
  続けて十五。」
若「そんなにぶたれなくたっていい。
  早くおいで。」

若「ヘイ。
  お父っつあん。ご機嫌よろしゅう。」
旦「ちっとも、ご機嫌よくない。
  黙って聞いてりゃ、いい気になりゃがって。
  親父は人間の抜け殻でございます、ってやがる。
  抜け殻のお蔭でお前は道楽ができるんですよ。
  
  お前さんはね、うちに兄弟があれば、とおにうちぃ置く男じゃ
  ないんだ。たった一人だから、我慢をしていればいい気に
  なりゃがって、悪(わり)いことばかり覚えて。
  うちの用をちっともするんじゃなし。
  子供じゃなし、二十二にもなって世間を見なさい。
  
  あー、そんなことどーでもいい。
  
  お前、依田さんに行って勘定取ってきたんだろ。」
若「十円札で二百円、確かにいただいてまいりました。」
番「番頭に渡したのか?。」
若「まだ渡しません。」
旦「そこに持ってるのか?。」
若「持ってはおりません。」
旦「おかしいじゃないか。
  受け取ったものが、番頭に渡さなくて、そこに持ってないってのは。
  落としたのか。」
若「え~~~~、落とす気遣いはなかろうという見込み。」
旦「この野郎、ふざけやがって。
  使っちゃったんだろ!。」
若「ぃよ~~、偉い!。」
旦「なにが、偉い、だ。
  孝太郎、ふざけなさんな!。
  仮にも二百円という大金が、一日(いちんち)や、半日で
  そう使えるもんじゃないよ。」
若「ふ、ふ、お父っつあん、、、いやだわ。」
旦「なんだい、お前は、馬鹿だね。
  そういう、ヘンなキザな真似をして。
  それをお前が、いいことと心得て。
  そうして、人に馬鹿にされて、お金を無駄に使う。
  それはねぇ、あたしは親だから許しても、天が許さない。
  仕舞いにお前、金罰(かねばち)が当たるよ。」
若「お父っつあん。お言葉の中(ちゅう)ですが、只今、人に馬鹿にされて
  お金を無駄に使うというお言葉。
  只今の若い者、仮に一日に二百円使おうが、三百円使おうが
  人に馬鹿にされて、お金を無駄に使うというということは
  ございません。
  ちゃんと筋道の通った、お金の、、、」
旦「この野郎、言わしておけば、いい気、、
  貴様がなあ、一日に二百円でも三百円でも、筋道の通った
  金が使えるようなら、安心して、この身上(しんしょう)譲るんだ。」
若「すぐ受け取る。」
旦「ふざけんな!。
  いちいち、いちいち、親を馬鹿にしやがって。
  じゃ、使った金を、親の前で、立派に言えるか。」
若「かえって申し上げる方がよろしいんでございます。」

 

つづく

 

 

断腸亭落語案内 その31 桂文楽 よかちょろ

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文楽師「鰻の幇間」を書いてきた。

さて、次。
「よかちょろ」をいってみよう。
好きな噺、で、ある。

~~~~
毎回のお運びでございまして、ありがたく御礼申し上げます。

間にはさまりまして、相変わらず、馬鹿ゝゝしいことを
申し上げてお暇(しま)を頂戴いたします。

ドウラクとは、道を楽しむと書くそうでございますが、
中には、道に落ちると書くドウラクもあるそうで
たいていお若い内は、ご婦人をお愛しあそばすてぇことにとどめを
刺しております。

旦「番頭さん、ちょいとここへきとくれ。」

~~~~
完全に頭から書いている。「間にはさまりまして」とあるのは、
寄席でトリではなく、文字通り、間で演じているということ。

ここからすぐに噺に入る。

三行挨拶。
枕が、四行。

枕ほぼなし。
これが文楽師、なのである。
~~~~

旦「どうも、あきれたねぇ~。
  うちのバカ野郎には。
  一昨日(おととい)出たなりなんだろう。
  いまだに帰ってこない。そーなんだろ。
番「さいでございます。
  いまだにお帰りがございません。ヘイ。」
旦「ヘイ、じゃないよ、番頭さん、あんとき私はなんていった?。
  
  うちのバカ野郎に金を持たせると満足に家に帰ってきたことがない
  から、依田さんのご勘定、わずか二百円だけども、お前が行ってくれる
  とか、清吉をやってくれるとか、なんとかしてくれないと困ります。
  お前そん時なんていったぃ?。

  若旦那はこの節、ご辛抱。そうあなたみたいにお疑ぐりになると、
  かえってお若いうちはヤケになって、お遊(あす)びんなりますから、
  あたくしが請け合いますから、大丈夫でございますから、若旦那を
  おやりんなった方がよろしゅうございます、

  ってお前そいったろ。やりました。ご覧!、案の定、二日も三日も
  帰ってこない。

  どーも、実に、情けない、歯がゆいね。
  野郎、今日帰ってきたらね、みっちり小言を言うつもりだからね。
  お前さんがツベコベそばで、詫び言なんかしちゃ困りますよ。」
番「へい。」
旦「番頭さんの前だけど、実にどうもあれでは困るね。」
番「さいでございます。実にどうもあれでは困ったことで。」
旦「若い者だから遊ぶなじゃないよ。たまにゃぁいい、のべつじゃ困る。」
番「さいでございます。お若い内でございますから、たまにゃぁ
  よろしゅうございます、が、のべつでは困ります。」
旦「親の心子知らずといってね。」
番「さいでございます。親の心子知らずと申しまして。」
旦「どういう了見なんだろうねぇ。」
番「さ~~~~、どういう了見、、」
旦「なにを言ってるんだ。お前、あたしの真似ばかりしている。

  馬鹿野郎、帰ってきたら、すぐこっちへ寄こしてくれよ。」
番「かしこまりました。」

  (軽く戸を叩く音)
若「おい!、番頭ぉ。番頭、バンシュウ。
  レキかい?」
  (レキとはここは旦那のこと。)
番「ばかな、コレですよ。」
  (角を出す仕草か。)

旦「なにをしてるんだい?」

番「あーた、のべつだからいけませんよ。
  お遊びならお遊び、ご用ならご用と片っぽづけて下さいよ。
  あーたのためにあたくしが小言ぉいわれたん。
  今日はね、あたくしぃ、あーたに伺いたいことがあるン。」
若「なんだい番頭あらたまって。なにを伺うんだ。」
番「あーたねえ、そーやって、毎晩のように、吉原においでんなりますが
  吉原の花魁てえものが大事なんですか?、この親旦那が大事なんですか、
  それをあたくしは、伺いたいと思う。」
若「馬鹿だね、お前、いい年をして、頭ぁ禿げらかして、なにを言ってんだ
  番頭!。おい!。吉原の花魁てぇものは赤の他人だよ。オイ。
  うちの親父はてぇものは、天にも地にもかけがいのない、男親だよ。
  あたりめえじゃねえか。」
番「そーでしょぅ。なんぼ、あーただって、お父っぁんが大事でしょ。」
若「花魁さ。」
番「しょーがないねえ。」
若「おい、番頭、お前はそういうことをいうがねえ、ナカの花魁がばかな
  惚れ方」
  (ナカとは吉原のこと。大門から入った真ん中の通りが仲之町といった
   ところから。)
  今朝ねー、別れ際に花魁がねー、こういうことを言うんだ。
  若旦那、あーたと私はどうしてこう気が合うんでしょう?。とこういうんだ。
  そいから、あたしが星が合うんだろ、ってそいったんだよ。
  あーたの星を当ててみましょう、っていうんだ。
  なんの星だか知ってるかい?ったら、あーたの星は梅干しだ、ってんだ。
  そいから俺は怒っちゃった。
  おい、冗談言っちゃいけないよ。お前とあたしの仲だよ、なにをいっても
  かまいませんよ。けれども、あたり前の時には、真面目に話をしてる。
  世の中に梅干してぇ星があるか?!って、そいった。
  そういうとね、ある、とこういう。悔しいだろ、だから突っ込んでやった。
  どういうわけで、梅干しだと、突っ込んでやった。
  するとねー、花魁のいうのには、私が好いているから梅干しだ、番頭。
  おい!、どうだよ。
  どういうわけで、梅干しだ、私が好いているから、梅干しだ、番頭。
  どうだ!。どういう・・」
番「わか、わかりました、わかりましたよ。
  早くお父っつあんとこへ行きましょう!」
若「行くよ、行くよ。
  じゃ、親父んとこ行って、俺ぁ、これから意見をするよ。」
番「どなたが?」
若「あたしがさー。
  で、親父がね、腹の中ではね、なるほど倅(せがれ)の言うことも
  もっともだ、と思うこともあるんだよ。
  けれども、根が癇癪持ちで、気が短いときてるだろ、
  親に向かって生意気だ、と
  そばにね、銀のノベの煙管(きせる)があります、旧式の。
  
  (鬼平など池波作品によく登場する。長谷川平蔵が亡父遺愛のなどと描写
   されるあれ。彫刻など入って高価なものであるが、ノベなので、
   かなり重い。)

  あの煙管に手がかかる、と、途端に、このあたしの額かなんかに
  ポカとおいでなさる。
  人間なんだから、血が出ますよ。
  これ、あたしの身体ならいいよ。
  ぶたれようが、殺されようが、かまいませんよ。
  これ、あたしの身体じゃないんだ。
  誰の身体と思う、素人了見に、番頭?。」
番「若旦那、あなた、少しヘンなこと仰(おっしゃ)る。
  あーた、素人了見にも、玄人(くろうと)了見にも、あーたのお身体は
  立派なあーたのお身体じゃございませんか。」

断腸亭落語案内 その30 桂文楽 鰻の幇間

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引き続き、文楽師「鰻の幇間」。

多少のカットはあるが、ほぼ全編、書き出してしまった。

いかがであったろうか。
伝わったであろうか。

「鰻の幇間」。成立はよくわからない。
実話がベースという。

速記は未入手、未読であるが、初代柳家小せんのものが残っている。

初代小せんという人は明治16年(1883年)~大正8年(1919年)。
めくらの小せんという別名があった。

この当時、かなりの名物であった落語家である。

「居残り佐平治」のところでもこの人は出てきた。

「居残り」といえば、この人であったと。

今回、残っている音も含めて聞けるものは聞いてみた。

「鰻の幇間」といえば文楽師しか私には思い浮かばなかったが
意外に多くの人のものが残っているし、存命の人のものも多い。

円生師(6代目)も「百席」に音があった。
この枕で、珍しく噺の解説をしている。
文楽さんも私のも、他の皆も、初代柳家小せんのものを習って
演っていた」と語っている。

小せんという名前は今もある。当代は五代目。
四代目は右目の下に大きなほくろがある人で私も覚えている。

初代小せんという人は、書いておくべきであろう。

師匠は四代目麗々亭柳橋から三代目小さん。
柳派の親玉で、三代目小さんは明治第二世代。

wikiには出典は明示されていないが「明治43年(1910年)4月真打昇進
したが、それまでの過度の廓通いが祟って脳脊髄梅毒症を患い腰が
抜けたため、人力車で寄席に通い、妻に背負われて楽屋入りし板付きで
高座を務めるようになった。明治44年(1911年)頃には白内障を患って
失明した。」とある。

まあ、有名な話である。

板付きとは、最近だと歌丸師。歩けないでの一度幕を下ろし、
高座に上げて、膝を隠すために講談に使う釈台などを置く場合もあり、
再び幕を揚げ、噺を始める。
初代小せんもこうしていたようである。

亡くなったのは大正8年(1919年)で36歳である。
壮絶であろう。
当時はそうでもなかったのか。芸人らしいというのか。

「居残り佐平治」やら廓噺を得意にし、噺のうまさにも定評があり、
また人気もあったという。梅毒で腰が立たなくなり、早死にした。
晩年は師匠小さん(3代目)の依頼もあり、若い者に浅草三好町の自宅で
よく稽古を付けていた。円生(6代目)が言っていたのはこのことであろう。

浅草三好町というのは、厩橋西詰の南側の一郭。今は蔵前二丁目。

先に書いたように小せん師(初代)の速記は未読なのだが、円生師
(6代目)、志ん生師(5代目)のものを聞いてみると、おそらく
原形に近いのではないかと思えてくる。
ターゲットに出会う前にも二場面くらいある。
また、鰻やの中も、くすぐりはもっと多い。
最後の下げも「今朝俺の買った五円の下駄だ」「お供さんが履いて
帰りました。」にさらに「あいつの履いていた下駄はどうした?」
「新聞紙にくるんで持って帰られました」がつく。

文楽師のものと比べてしまうと、差は歴然としている。
冗長でまるで別の噺のようである。

省いて磨かれている。
山本益弘氏が書かれていたと思うが、文楽師は鮨の数寄屋橋次郎の
小野二郎氏のような食の名人職人になぞらえられる。

黄金餅」などでも書いたが明治以降、くすぐり(洒落やギャグ)
を加えて膨らまし、一席として仕上がってきたものがあるわけ
だが、文楽師の仕上げ方は、むしろ反対。
どちらが粋でどちらが野暮かといえば、明らかであろう。
スマート。
余計なものを省き、話す速度も速い。

円生師のものなどを聞くと、この噺の一方の本質も見えてくる。
この噺、文楽版では感じないのだが、実は後味がわるいのである。

取り巻こう(たかろう)とした野幇間(のだいこ)が逆にまんまと
騙されて、みやげまで持って逃げられる。

円生版だと、一八(いっぱち)は逃げられたのが判明した時に、
ふざけるな!、俺は知らねえ、と一度居直る。

どっちが取り巻きだかわかっていただろう。
それをわかっていて帰した、オメエんとこ(鰻や)の責任じゃ
ねえのか、と。もしくは、多少の責任はあるだろう、と。

そうなのである。
こういうのにも一理あるであろう。

生活笑百科」の先生に聞いてみたくなる。
食い逃げである。一八は、自分の食った分を払う。そして残りは、
鰻やと折半。それでも理屈は通りそうではないか。

全部引っかぶらなければいけないのは、芸人の弱いところか。

あからさまにここまで演ると、やっぱり後味が相当わるくなる。

最初に書いたように、これが実話であったのなら、
このように鰻やと喧嘩になったかもしれぬ。
十円取られて、今朝買った下駄まで取られて、裸足で帰れってのかい!?。

まったく、踏んだり蹴ったり。
だが、間抜けな話し。
間抜けで、ちょっと可哀そうな、野幇間の話しでした、、、、チャンチャン。
後味はわるいが、一席としてはこれでも成立している。

磨いたのは、文楽師本人であろうか。
円生、志ん生も小せん師(初代)から直に習ったのであれば、
文楽師自身が取捨選択、くすぐりを選び、下げを含めて省くところは
省いていったということになろう。

お姐さん相手に、クドクドと小言をいうところ。
ほぼ一八の一人語り。実にテンポがよく、心地よい。

野暮(下手)な落語家であれば、お客の笑いを待つ、なんという
間を開けたりもするのだが、文楽師はそんなことはない。
どんどん、自分のペースで喋る。
お客は、逆に文楽師のリズムに合わせて笑うのである。
これが心地よさの本質であろう。
これが文楽師の名人芸の神髄であろう。この噺に限らないが。

これ以外のものでは、故人では志ん朝師、円喬の橘家円蔵師のもの。
存命だと小三治師、権太楼師、小遊三師、一之輔師などがある。
小三治師のものが、文楽版に近いというが聞けていない。
最近のものがあるようなので、聞いてみたい。
立川流は家元が演っていなかったからか、音になっているものはないよう。
それ以外は、円蔵師はもちろん、円生師以外皆ほぼドカジャカ。

一之輔師になると、てにおはもくすぐりもほぼ別物。
ただやはりこの人、センスがよく、上手い。
やはり今となっては、ここまで変えないと残らない噺であろう。

 

つづく