浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その13

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三遊亭円朝作「真景累ヶ淵」。

いよいよ、大詰。

尼になっていたお熊の懺悔。
この部分だけ、歌丸師のDVD、CDが出ている。

この尼さんは実に、新吉の母が患っていた時に深川から深見新左衛門家へ
手伝いにきていたお熊であった。新左衛門の手がついて生まれたのがお賤。
つまり新吉とお賤は腹違いの兄妹であったということ。
お熊は若い頃から身持ちがわるく、十六の頃古河藩のそこそこの家の
お嬢様であったが家来の若侍といい仲になり駆け落ちをし江戸へ出てきた。
その時の子が、なんと土手の甚蔵。因縁は続く。亭主はすぐに亡くなり、
お熊は困り甚蔵は捨ててしまったという。
甚蔵はお賤新吉二人で殺しているわけである。

どうしためぐり合わせか、例のお久を殺し、お累が自害をした草刈鎌が
再び新吉の手元に返ってくる。
あっけないようだが新吉は己の因縁と悪行を悔い、お賤をその草刈鎌で
殺し、自らも腹に突き立てて、自害。

そして、お気付きかと思うが、この観音堂は十歳の子供であった
仇討に出ていた名主の弟、惣吉の母が殺されたところ。この犯人は実の
ところ尼さんになったお熊であった。その後、この観音堂に住み着いた。
これを悔いて、お熊も自害。
新吉の情報で出家をしていた惣吉は関取の花車を助太刀を頼み
追剥ぎに成り下がっていた敵(かたき)の安田一角を倒し、仇を討った。

速記本で円朝師は
「これでまず、おめでたく累ヶ淵のお話は終わりました。」
と長い長い噺を結んでいる。

いかがであったろうか。
落語ファンの方でも、おそらく全編に接することはないと
思われるので、ここにあらすじを書くことには意味はあると
思って書いた。

最後のお賤新吉が兄妹であったという件(くだり)。

テキストである須田先生の「三遊亭円朝と民衆世界」では
特に分析はされていないようである。先に、この件を考えてみたい。

共通するものがある。
黙阿弥翁作の歌舞伎「三人吉三廓初買」通称「三人吉三」。

月も朧(おぼろ)に 白魚の 篝(かがり)も霞(かす)む 春の空

黙阿弥先生お得意の七五調の名台詞。
大川端庚申塚の場があまりにも有名であるが、これも実は、兄妹で
関係を持つというお話で、二人は四つん這いの犬になる=畜生道に落ちる、
という場面が実際に舞台で演じられている。
この芝居の初演は安政7年 (1860年)。「累ヶ淵後日の怪談」として
円朝により創作されたのが安政6年といわれているので、前年、まあほぼ
同時期ということである。

三人吉三」などでは
「本作が書かれた幕末は、動乱する政局を忘れようとするかのように、
江戸の庶民は爛熟した文化と頽廃した世相の中に浸った時代だった。
そうした様子が本作には如実に表されているのである。」(wiki

なんという評がされている。これは今、歌舞伎評論では一般的な解釈であろう。
兄妹で関係を持つということに絞った評ではないとは思うがやはり、ちょっと
的外れに思う。

当時、近親相姦が一般的であったということではむろんなく、
「累ヶ淵」にも共通するドラマ作成上のある種テクニックであったと考える。
どちらも因縁、業というようなものが、当時の人々にわかりやすい
テーマとして流れており、それを表現する手段として使ったと
解釈すべきではなかろうか。

また、後々述べる円朝円朝作品の須田先生の分析と考察、悪党の時代を
背景にしていること、でもっとクリアになってくる。

ともあれ。
真景累ヶ淵」なかなかな噺であった。
こんな機会でなければ、私自身も触れることはなかった。
やはり不朽の名作である。食わず嫌いはいけない。
ただ、残念ながらあまりに長く、現代においてこの作品が落語の形で
ただの珍品、レアものではなく多くの人に聞いてもらう環境にはない
ことは残念である。

詳細な考察は最後に、ということにする。

さて。
これでやっと一つが片付いた。もう一つの円朝代表作がまだ残っている。
そう。「怪談牡丹灯籠」である。

「累ヶ淵」の2年後、文久元年(1861年)の作。
明治25年五代目菊五郎で歌舞伎化され、今も上演されている。

「牡丹灯籠」は実のところ二つの物語が並行して進行する形態を取っている。

円生師(6代目)のCDにしても歌丸師のものにしても片方だけ。
レアだが今演じられる場合も円生師(6代目)のものがベースにあり
同様なのではなかろうか。(歌舞伎もそのようである。)
つまり片方のお話は演じられていない。それで今となっては、
噺の全体像はやはりあまり知られていないといってよろしかろう。

すなわち知られているのは「お露と新三郎」「お札はがし」
「栗橋宿」といったあたりである。

ということで、こちらも、円朝全集と一部円生師(6代目)のCDを元に、
あらすじ完全版。

お露新三郎/お札はがしの方は、伴蔵という悪人が主人公。
こ奴をめぐるいわば「悪党」、欲と暴力、殺人の話。

もう一つは同様に暴力を背景にするが、孝助という者の忠義、孝行の話。
一部分、登場人物が重なっていたりする仕掛けになっている。

パラレルに進行するが須田先生に倣い複雑になるので片方ずつ
最後まで先に書く。
円朝師の速記は、孝助の物語から始まっている。円生師(6代目)の
CDのある伴蔵のお話の方は後へまわすとして、孝助の方を
先に書いてしまおう。

時代設定は寛保3年(1743年)吉宗の頃になっているが、
これも「累ヶ淵」同様、時代考証をして設定したというような
厳密なものではなく、百年ちょい前にしてみた、という
くらいのものではなかろうか。

始まりは湯島天神祭礼の雑踏で、旗本の凛々しい若様飯島平太郎が
酔った無頼の浪人黒川孝蔵と喧嘩になり切る。(これはおとがめなし。)

平太郎はその後家督をし父の名の平左衛門を名乗る。嫁を迎え
一人娘のお露が生まれる。お露は無事に美しいお嬢様に成長するが
奥方が病で没し、女中のお国というのに平左衛門の手が付く。
(この部分はパラレルのストーリーに共通するもの。)

そんな時、平左衛門家には新しい奉公人がくる。名前は孝助。
孝助は自ら武家奉公を望んできた。主の平左衛門が訳を聞くと、
剣術を覚えたいという。孝助は天涯孤独。父は平左衛門若かりし頃
湯島天神で切った黒川孝蔵であった。仇を打ちたいという。
むろん、平左衛門は気が付くが、孝助は知らないで奉公にきた
という設定になっている。
これがメインストーリーになっているのである。

 

 

 

つづく

 

 


須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より

 

 

 

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その12

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引き続き、円朝作「真景累ヶ淵」。

昨日は「豊志賀の死」まで。
なかなかよくできている。怖い、がおもしろい。
ストーリーテラー円朝の面目躍如であろう。

その4「お久殺し」
豊志賀の死後、新吉はお久と下総へ駆け落ちする。
下総の羽生村。今の常総市羽生町の累ヶ淵。
夜になってしまう。
雷雨。
鬼怒川の土手道でお久は怪我をしてしまうが、どうしたことかその顔が
死んだ豊志賀そっくり、目の下が腫れてくる。錯乱した新吉は拾った
草刈鎌で誤って殺してしまう。新吉は隠さねばと思い、死骸を川に
落としてしまう。これを土手の甚蔵という江戸から流れ、土手下の
小屋に住み着いている「悪党」に見られ、強請られるが金もなく、じゃあ、
というので弟分になる。

その5「お累の婚礼」
お久の死骸は村の者に見つけられ、寺へ葬られたことを知り
新吉は墓参りに行く。
お久はこの村の物持ち、質屋を営む三蔵の姪で二人はここを目指してきた
のであった。三蔵はお久のいた江戸の質屋で奉公をしていたのである。

この墓で三蔵の妹、お久には従妹でやはりいい女のお累(るい)に
出会う。新吉はいい男で、お累は新吉に岡惚れする。
だが、お累は熱湯を浴びて、例の豊志賀の顔面半分腫れた顔になってしまう。
三蔵から話しがあり、新吉はお累の婿になり、お累は新吉の子を身籠る。

真景累ヶ淵」関係図 その2

その6「勘蔵の死」
そんな時、江戸から新吉の伯父、勘蔵が病で余命いくばくもないとの
知らせがきて、新吉は駆けつける。
勘蔵は死を前にして、新吉の生い立ちを話す。

父新左衛門のこと、新吉はその次男で、自分(勘蔵)はその奉公人であった。
新左衛門の宗悦殺し、新左衛門の奥方の病、奥を深川から手伝いにきたお熊
という女に新左衛門の手が付き身籠る。長男の新五郎は父に嫌気がさし家出。
新左衛門は乱心から奥方(新吉の母)を切り、自らも切り死。一家離散。
お熊は女の子を産むが仕方がないので深川に戻る。そして、新吉は自分の甥として
育てたこと。

新吉が下総に戻る途中、篭に乗るが眠ってしまい兄の新五郎が夢に出てくる。
新五郎が捕まったのは質屋の三蔵が奉行所に訴えたことをいい、その妹の
累の婿になったことを責めた。
兄新五郎。(これは「その2」で語られたもの)新五郎は家出後、再び江戸に戻り、
豊志賀の妹お園を誤って殺してしまった後、働いていた店の金を盗んで逐電
(ちくでん、トンズラすること)、捕まり、既に獄門になっていた。このことを
新吉は同じ帰り道、小塚原の刑場で新五郎の捨て札を見て知ることになった。
この新五郎もまあ「悪党」といってよいだろう。

その7「お累の自害」
新吉が下総羽生村に戻ると、お累は新吉の男の子を産んでいた。
新吉がこの子の顔を見ると、夢に出てきた兄の新五郎に瓜二つ。
ギョッとし、これも己の因縁か、と思う。
お久の墓参りに行くと、お賤(しず)という江戸者の女に出会う。
お賤は羽生村の名主惣右衛門の妾。同じ江戸者というので二人は
惹かれあう。
このあたりから、新吉は人が変わっていく。
お累の顔は半面腫れて見られない顔。息子は獄門になった兄そっくり。
家にも寄り付かなくなり、お賤の家に入りびたり。
遊ぶ金欲しさに家のものはあらかた質入れ。挙句、お累は病に。
それも顧みない新吉。たまに帰ると、お累に殴る蹴る。
気持ちがわるいと息子に煮え湯を掛けて殺してしまう。

DVと子殺し。どこかで聞いたような話しである。

平然と家を出ていく新吉。お賤の家へ。
夜中、雨の中、お賤の家にお累が訪ねてきて、今晩中にこの子を
葬ってくれという。なおも新吉は殴り、蹴り、締め出す。
と、直後、お累が、死んでいるという知らせが入る。
お累は、家で、新吉がお久を殺したあの草刈鎌で自害をしていた。

円生師(6代目)の噺でも、とても聞いていられない。凄惨、新吉の
自己中、人非人(にんぴにん)ぶりが際立つ。

その8「聖天山」
ここから、お賤主導になるが、財産目当てでお賤の旦那である名主
惣右衛門を殺し、これをねたに強請りにきた土手の勘蔵も二人で殺し、
お賤新吉は羽生村を出奔。

ここまでで前半である。
ここからは、円生師(6代目)のCDにも入っていない。
あまり演られることもなかったのであろう。

ここからしばらく、お賤新吉からは離れる。
惣右衛門が殺された羽生村名主の跡取り惣次郎一家の話しになる。

速記本からの円朝全集を読んだわけだが円朝の語りはディテールが実にしっかりと
語られているのがわかる。ストーリーもさることながら部分部分もおもしろい。
もちろん、言文一致の話し言葉なので、明治の言葉だがさほど難しくはない。
後半の主要登場人物を挙げてみよう。

・惣次郎…羽生村名主
・お隅(すみ)…惣次郎の妻
・惣吉…惣次郎の弟
・花車重吉…関取、惣次郎の幼馴染

・安田一角…剣客、近くの田舎道場の道場主
・山倉富五郎…旗本の元用人の浪人。江戸から流れてきて惣次郎に
       拾われ名主屋敷で職を得ていた。

さて。
山倉富五郎はお隅に思いをかけ、惣次郎から奪うため、
恩のある惣次郎を裏切り、惣次郎と因縁のある安田一角をけしかけ
殺させる。

お隅は夫の仇討に出る。山倉は打てたがお隅は安田に返り討ちに遭い
命を落とす。

残された惣次郎の母と弟の惣吉、この時10歳、が安田一角の仇討に出る。
二人ではどうにもならぬので頼りになる関取の花車に助太刀を頼むため
江戸へ向かう。
途中、母が急病になり近くにあった観音堂に助けを求めると出てきた
比丘尼(尼さん)に騙され母は殺され、あり金を取られてしまう。

まさに、兄をはじめ皆が次々と殺され、惣吉は10歳の若さで
あっという間に、一人っきりになってしまった。

だが、不幸中の幸というべきか、ところの和尚に拾われ、
母や兄の菩提を弔い、私のとこころにいなさいというので、
惣吉は和尚の弟子となり宗観(そうかん)と名を変える。

一方、ここで、お賤新吉再登場。
二人は羽生村から逐電し、諸国をまわって悪事を働き、もはや
一角の「悪党」になっていた。
そして、久方ぶりに羽生村の近くまできていたのである。

街道で村にいた頃、新吉とつるんでいた作蔵にばったり街道で出会う。
すると、かの質屋の三蔵が大金を持ってここを通るはずであると、
いうので、三人で待ち伏せ、三蔵と共の者を殺し、金を奪う。
さらに、新吉、お賤は作蔵を殺す。

この時、お賤は顔に怪我をする。この怪我がまた豊志賀、
お久、お累同様の半面が腫れるものであった。

翌日、新吉とお賤が旅を続けていると夕暮れになって雨に
なってきた。雨宿りに、近くにあった観音堂に入る。
出てきた尼さんに休ませてもらうことを頼む。

と、お賤が
「おや、おまえはお母(っか)あじゃないか」
尼「はい、どなたへ」
賤「あれまあ、お母あだよ。まあ、どうしておまえ尼におなり
だか知らないが、ほんとうに見違えてしまったよ。十三年あとに
深川の櫓下(やぐらした)の花屋へ置き去りにしていかれた娘の
お賤だよ」

そうである。この尼はお賤の実の母、お熊であった。
ここから長い長いお熊の衝撃の、懺悔話になる。

 

 

つづく

 

 


須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より

 

 

 

須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」その11

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さて、一週お休みをいただいたが、円朝師。

いよいよ佳境、本題、で、ある。

円朝師の代表作「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」と
「怪談牡丹灯籠(かいだんぼたんどうろう)」について
テキストに沿ってみていこう。
やはり円朝といえばこの二作品に触れぬわけにはいかない。

創作されたのはてっきり明治だと私は思っていた。
二年違いであるが安政6年と文久元年なのである。
つまり、また江戸期。
この研究の論旨として、とても重要。憶えていなくてはいけない
ことである。

そして、このタイミングというのは、師匠の二代目円生と絶縁後である。
その絶縁のきっかけは、自分の演ろうとしていた噺を先に演られて
しまったということであった。それで、これは、と奮起し、
新作を作ったと考えられている。

さて。
この二作、芝居、映画など映像ではなく、噺として落語家が話すのを
聞いたことがある方はどのくらいおられようか。

真景累ヶ淵」は先般亡くなった歌丸師が通しで演ったことが
知られている。DVD、CDにもなっているが、他にはやはりかなりレア。
演るとしても一部。円生(6代目)師の「円生百席」のCDは
2枚組4巻、8枚になっているが、これでも後半は入っていない。
全話をどうしても知りたければは、全集を読むしかない。

「牡丹灯籠」も同じく歌丸師が通しで演っているよう。また、
喬太郎師なども演っていたようである。が、まあ、これもかなりレア。
円生(6代目)師のCDもこちらも一部。歌丸師のCDも同じ部分のよう。

とにかく長い。一日はおろか、続き物として数日かけて毎日
演ったという。

実のところ、私、怪談ものはダメなのである。
ホラー映画もだめ。苦手である。
日本のものも海外のものも、まず観ない。
怖がりなのである。
それで「累ヶ淵」も「牡丹灯籠」もたまたま寄席で演っていた
誰かのものを一部聞いたことがある程度。

だが、今回、これを書くのに、聞いたことがなければ
さすがにいけなかろうと、「円生百席」の「真景累ヶ淵」と
「牡丹灯籠」の6巻12枚のCDを買って、今週聞いていたのである。
そのお休みであった。

まあ、聞いてみなければ、わからないことは確かにある。

改めて思うが、円生師(6代目)というのは本当にうまかった。
円生師存命中には、落語家は人間国宝にしてもらえなかったが
当然なってしかるべきである。(ついでに文楽師(8代目)志ん生
(5代目)もである。)

円朝直系の三遊派の6代目三遊亭円生、百点満点にできて
あたり前、でもあろうが。

今、その流れを継いでいるのは当代円楽師だが、、
どうなのであろうか。

ともあれ。

真景累ヶ淵」「怪談牡丹灯籠」の二作品、どんなものか。

皆さんもご存知ないと思うのであらすじを書いてみよう。
長いのだが、書いておく意味はあろう。

誰かさんのあらすじのコピペではなく、円生師(6代目)のCDを聞き、
足らない部分は全集も読んで、自分の言葉で書いてみる。
ただ、できるだけコンパクトに、わかりやすく。

まず「真景累ヶ淵」から。

安政6年(1859年)作、初演といってよいのか。
書いている通り、この頃は舞台の背景や道具を入れた芝居噺として
演じたので、道具を使わない素噺として今残っている円生(6代目)
の音や、速記から起こした全集の台詞とは違っていたようである。

作品としては、前後半に分かれる。
後半は人気になって付け加えられたものと言われている。
作品のクオリティーが高いのも前半で、円生師(6代目)のCDも前半、
「聖天山」まで。

「真景」というのは、神経である。
安政の頃の原題は書いているように「累ヶ淵後日の怪談(かさねがふち
ごにちのかいだん」。
「真景」が付いたのは、明治になってから。
当時、神経という言葉が流行っていたといわれる。
「あいつは神経の病だ」という神経である。
神経症などと今もいうが、ちょっとハイカラというのか
新しい感じがあったのであろう。

江戸期流布していた「累(かさね)もの」などとも呼ばれた
説話、浄瑠璃、歌舞伎にもなっていたお話があった。
下総国羽生(はにゅう)村が舞台。今の茨城県常総市羽生町。
その鬼怒川に累ヶ淵というところが実在する。
累という女性が入婿の与右衛門に殺されるという、まあ、やはり怪談と
いってよいのであろう。歌舞伎では鶴屋南北の「法懸松成田利剣
(けさかけまつなりたのりけん)」、文化6年(1823年)江戸森田座
初演、というのが知られているよう。南北は「四谷怪談」の南北であるが、
黙阿弥や円朝よりも一世代前。この累のお話が下敷きになっている。

あらすじを、まず円生師のCDに沿って書いてみる。

その1「宗悦殺し」
根津七軒町の盲の針医者の皆川宗悦は金貸しでもあった。

時代設定は安永というから1770年代田沼時代。
宗悦は金を貸していた小日向服部坂上(こひなたはっとりさかうえ)の
旗本深見新左衛門(しんんざえもん)宅に取り立てに行き酒乱であった
新左衛門に逆上され殺される。

一年後、新左衛門は殺した宗悦の亡霊により奥方を殺し、乱心、切り死。
深見家は改易、一家離散になる。

その2「深見新五郎」
ここは、新左衛門の家出をしていた長男の新五郎が宗悦のたまたま知り合った
次女お園を誤って殺してしまうという因縁話になるが、本筋から外れるので
詳細は略。

その3「豊志賀の死」
新左衛門の次男、新吉。深見家離散時2才、深見家の門番であった勘蔵に
甥として育てられる。ふとしたことで同町内の唄(富本)の師匠豊志賀と
同棲を始める。豊志賀は実は宗悦の長女、年は39。新吉は21。
新吉は年の離れた豊志賀の身の回りの世話など小まめに働いていた。
豊志賀は稽古に通ってくる若い同町内羽生屋の娘お久と新吉の仲に
嫉妬する。その内に右の眼の下に小さなできものができ、それが
段々腫れてお岩さんのような顔つきになってしまう。新吉は段々に
ひがみがひどくなる豊志賀に嫌気がさしてくる。

お久は継母にいじめられているという。お久の伯父さんのいる下総に
一緒に逃げてくれ、との話しになる。するとにわかにお久の眼の下が腫れ、
豊志賀のような顔になる。と、お久は新吉の胸倉をつかみ「あなたは不実な人
ですね」、、、。驚き慌てて新吉は伯父さんの家に駆け込む。
すると、どうしたことか伯父さんのところには豊志賀がきている。
新吉は伯父さんにとにかく一先ずは豊志賀の面倒を見るように意見を
されて、送ってやろうと篭を呼んで豊志賀を篭にのせる。
そこへ、豊志賀と新吉の住む長屋の人々がくる。彼らは豊志賀が死んだ
という。そんなはずはない、今、そこに、、と篭を開けてみると、いない。
長屋へ帰ってみると、豊志賀は剃刀で喉を切って自害をしていた。
豊志賀の書置き(遺書)が残されており、そこには「これから新吉が
持つ女房は七人までは取り殺す」と書かれていた。


真景累ヶ淵」関係図 その1

 

 


須田努著「三遊亭円朝と民衆世界」より

 

 

焼きあご塩らー麺 たかはし 上野店

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さて、ここ。
不覚ながら、知らなかった。

[焼きあご塩らー麺 たかはし]上野店。

開店は16年11月とのこと。
2年以上も経っていた。

上野のラーメンランキングを見ていたら、上位にあったのである。

上野に限らないが、東京のラーメン店の数の多さ。
新しい店が開店し、店の見かけで興味を惹かれると
入ることもあるのだが、御徒町の狭い路地、もはや地元とはいえ、
把握することは不可能である。

最近話題で、高級などともいわれているのは知っているが、焼きあご
というのは、飛び魚の煮干し?九州など西日本で伝統的に使われている
という程度の知識で、出汁としてもほぼ馴染みがない。

もう一つ、ここは「燕三条系」。
そもそも「燕三条系」すら知らなかった。

新潟ラーメンというのはある程度情報としては知っているが
実際に食べたことがあるのは秋葉原佐久間町の[青島食堂]くらい。
これもまあ、ほぼ未知といってよい。

さて、場所であるが、ちょうど昨日書いた[とん八亭]のそば。

中央通りとアメ横の通りの間の南北に走る通り。
この間に、細い路地を含め通りが3本ある。
[とん八亭]は一番中央通りに近い、たぬき小路。
真ん中は上中(うえちゅん)通り。
そしてこの店は、アメ横から一本目にある。
この通りには名前はない、のか。
鮨やが二軒、向かい合ってある、例の通り。

店は和系でお洒落なたたずまい。

これが“あご”なのか、大きめの煮干し、という印象のものが
紐で結ばれぶら下がっている。

券売機は珍しく、外にある。
開店間もない11時台であったが、
既に満席。1、2人待ち。

迷わず、焼きあご塩の、ノーマルなものを買って外の列につき待つ。
まあ、このくらいの人数であれば、すぐ。

入ると、コの字形のカウンター、13席のよう。
食券を置く。
意外に「燕三条系」という“背脂”を頼んでいる人もある。

これ。

これが焼きあご塩らー麺。
チャーシューは赤味の強いものと火が通ったものと二種類。
白髪ねぎ、メンマ、小さめに切った水菜。ここも水菜!。
ねぎは入っているので、彩りということになるか。

食べてみる。

麺は太めの平打ち、気持ち縮れ。

肝心のスープは、透明に近い。
魚介系がドーンとくるが、厚みがあり、動物系、とんこつ(拳骨)も
使っているという。

煮干しどっさり、という系統があるが、苦みが強くなる。
[青葉]まではよいのだが入谷の[晴]までいくと、
私はもう一つ。

そこまでではなく、上品といってよいのではなかろうか。
焼きあご出汁が、いわゆるいわしの煮干しとどう違うのか、
よくわからないのだが。

バランスが取れた味で、かなりうまいのではなかろうか。
これはこれは、めっけもの。

そして。

未知の「燕三条系」なる“背脂”も食べてみなければ。
これから、ここにはなん度か通っている。

二回目。
これが“背脂醤油らー麺”。

名前の通り、背脂たっぷり。
目を引くのが、海苔。これは岩海苔であろうか。
塩と同様、チャーシューは半生のものと煮豚と二種類。
玉ねぎみじん切り、メンマ、水菜はなし。

見た通り、背脂がガツンとくるが、食べ進むうちに
後味というのか、全体とすると、ほどがよい。
スープは魚介系も感じられる。
一般に「燕三条系」というのは、背脂+魚介ということのよう。

海苔はここだけなのか「燕三条系」の特徴なのか不明。
こういう設計なのであろうが、海苔はスープに溶けだしてくる。
これがちょっともったりとした印象になる。

ここが代表的なものかはわからぬが、
燕三条系」、なるほど。

ここのもう一品も食べてみなくてはいけない。
別日、塩つけめん。

火の通ったチャーシュー、海苔、チャーシューの上に干桜海老
あろうか、それから玉ねぎ、水菜。

麺は中盛。

塩といっているが、濃厚。
魚介ととんこつ?。

焼きあご塩のらー麺、のスープに近いのであろうが、
つけめんのつけ汁として、十分に主張している。
つけめんのつゆというと、元祖つけめんの池袋[大勝軒]から
酸味系があるが、ここのものは、酸味はほぼないだろう。
海苔はつけめんの場合、麺につゆがからみやすくなるので
よさそう。

焼きあご塩らー麺同様、上品でバランスが取れている。
むろん、スープ割もしてくれる。

さて。
焼きあご塩らー麺は、3月からさらに二回、食べている。

最初はやはり、魚介系が気になったが、日によって違う
ということはなかろう。やはりこれは馴れてくるのであろう。
二回目以降はよい印象が高まってきた。

この店、2年も知らなかったのは、迂闊といえよう。
本店は新宿歌舞伎町で二軒、銀座、渋谷、さらに中国・厦門(アモイ)にも
店を出しているよう。

この界隈では、定番になりそうである。

 

 

 

 

焼きあご塩らー麺 たかはし

台東区上野4-1-5 上野中島ビル1F
03-6803-2790

 

 

 

 

上野・とんかつ・とん八亭/田原町・担々麺・阿吽

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もう少し、ノーマル版。
今日は外食。

3月15日(金)昼

久しぶりに、昼、上野のとんかつや[とん八亭]。

ミシュランピブグルマン。
17年に掲載されて、19年版にも入っているのか。

ちょっと職人気質というのであろうか。
ミシュラン」掲載店というと、構えてしまう?
あるいは“過剰”な期待をしてしまう?、
大きな店でもなく、ご主人と女将さん(?)二人で
やられているので、もう一つ手が回らない、こともあるのか。

それを承知で行くべきなのであろう。

ここは戦後すぐの1947年創業。老舗といってよいだろう。
現ご主人は三代目のよう。
毎度書いている通り、上野というのは、とんかつの街といってよい。
[蓬莱屋]、[井泉本店]、洋食やを名乗っているが[ぽん多本家]。
この老舗御三家。その他にも数多い。
この三軒と比べると、やはりちょいと、、、と映ってしまう。

広小路の松坂屋の交差点、北東の角から北側一本目。
まむしの[文久堂]の路地、たぬき小路を北側に入ったところ。

営業時間は少し前まで変則で夜もやっている日があったと思うが
今は昼のみ。(月曜休み、11:30~14:30)

ちょいとはずして、14時頃。
それでも、ほぼ満席。

900円のかつライスというのもあるが、1800円のロースの
定食をもらった。

1800円は相場からすれば、安かろう。

[蓬莱屋]のような薄い揚げ色。低温なのであろう。

厚みも十分。薄っすらピンク色。
これは、塩で食べたい。

油切れもよい。
流石の味。

昨年、一昨年、なん回かきているが、その時よりもうまくなっている
のではなかろうか。
昼のみにして、落ち着いているのか。

ご飯もお新香もうまい。

ご馳走様でした。

03-3831-4209
台東区上野4-3-4


もう一軒、浅草田原町の担々麺[阿吽]。

4月7日(日)昼

本店は湯島天神下。
どちらも元浅草の拙亭からは同じような距離だが、
もっぱら田原町

月曜休みで、土日もやっている。

田原町交差点から西側北へ一本目左すぐ。

昼にきたら、既に満席。
5分ほどだが、外で待つ。

ここはどちらかといえば、担々麺でも汁なしの方に
力が入っているのか。
だが、季節的にもまだ、汁麺の方が気分。

券売機でノーマルな白胡麻担々麺。850円也。

ん!?。
パーコーがある。
限定のトッピングのよう。

担々麺とパーコーというと[はしご]を思い出す。

担々麺に揚げたパーコーをのせるのは定番なのか、
わからぬが、揚げパーコーは好物。

きた。

辛さは選べるが3辛。
比較的、おとなしい辛さ。

干し海老と挽肉そぼろ、青みは水菜。

ラーメンの青みに水菜を入れるところが今多いが、
なぜねぎではないのだろうか。
水菜というのはくせがない、というのか味がない。
もちろん、水菜の味はあるが薬味ではない。
ラーメンの特に担々麺の強い風味に対しては、味の存在感はない。
ただの彩りということか。
青ねぎでよいのではなかろうか。

ともあれ、全体とすればうまい担々麺である。
スープ自体にも干し海老なのか、海老の風味があるのが
ここの特徴であろう。

トッピングのパーコーも担々麺に入れて食べてみる。

うまいパーコーである。
味、香り、かなり吟味して作られている。
やはり、ここのご主人なのか、味の設計に関しては
ただ者ではない。

が、おしい?!。

胡麻担々麺も、パーコーもそれぞれ磨かれているからか
スープに入れると、なにか、打ち消しあってしまうような、、、
もう一つ、という印象。

もちろん、むずかしいことを考えなければ、水準以上、
うまいパーコー担々麺ではあるのだが。

うまかった。
ご馳走様でした。

もう少し暖かくなったら、ちょい辛めにした
汁なしを食べにこよう。

 

 


阿吽


台東区西浅草1-1-13 カーサ田原町1F
03-5828-5525

 

 

 

若竹煮

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3月14日(木)

さて。
たけのこ。

吉池の地下で見つけた。

福岡産。

今年、この時、初めて見つけたが小さいもの。
二本で500円。
あく抜きの米ぬか付き。

これは便利である。

初物のたけのこは柔らかくて、うまい。
好きである。

若竹煮にしよう。

福岡というのは知らなかったが、日本一のたけのこ生産量だそうな。
北九州あたりらしい。

帰宅。

洗って穂先を切り、

さらに一本縦に切れ目を入れておく。

ゆでるのは、圧力鍋。
普通の鍋でゆでると2時間程度はかかる。
調べると圧力鍋でも大丈夫のよう。

圧力鍋に水、付いていたぬか、たけのこを入れる。

ふたをして、点火。

加熱、加圧。
弱火で15分。

火を止め、放置調理。

冷めるまで放っておく。

2時間ほど。

串を指して確認。

よいようである。

きれいに洗う。

根本を少し切って、皮をむく。

薄く切る。

さすがに小さいもの、根本の方も柔らかい。
よさそうである。

出汁を取る。

たけのこには、鰹である。

鍋に湯を沸かし、煮立ったらたっぷりと
鰹削り節。濃いめを目指す。

弱火で3分。
火を止めて、置く。

濾して、再び鍋へ。

酒少々と、濃口しょうゆ。

味付けは私としては、薄め。
出汁を濃いめにしたし、初物は薄味が気分である。

軽く煮立てて、切ったたけのを入れる。

再び煮立てて、追い鰹。
これは、鰹削り節ではなく、鰹節削り節。

鰹節削り節は、にんべんのもの。
この違い、ご存知であろうか。

カビを付けて熟成させた、いわゆる本枯節を削った削り節を
鰹“節”削り節。これは東日本のもの。
西日本のものがカビを付けていない、荒節の削り節が“鰹”削り節。
鰹節の産地である土佐から江戸に運ばれる間にカビが付いたのが
始まりといわれているよう。
もちろん、今は全国で両方買えると思うが。歴史的には
こういう違いがある。

荒節の鰹削り節の方が濃いうまみのある出汁が取れる。
本枯節の鰹節削り節は、うまみもあるが香りがよい。
ただ、難点は煮立てると香りはすぐに飛んでしまう。

プロは本枯節で出汁を取るが素人は扱いにくいので、出汁は荒節。
本枯節はおひたしなどにかけて食べる、生食用と私は使い分けている。

ということで、追い鰹は鰹節削り節。

すぐに火を止め、冷ます。

味は冷めるときに染み込むので、しばらく置く。

OK。

一緒に買ってきた栃尾の油揚げもオーブントースターで
焼いて出す。

栃尾の油揚げはご存知の方も多かろう。
最近は東京のスーパーでも売っている。

新潟県長岡市の名物で、こんな感じの厚さ。
厚揚げではなく、あくまで油揚げ。
焼いてしょうゆをかけるだけ。
普通の油揚げでも酒の肴にするが、うまいものである。

若竹煮。
このように走りの若いたけのこというのは、
まったく柔らかい。
ぬかを使っているのもあろうが、あくはまったくない。

食べ始めると、とまらない。
いくらでも食べられてしまう。

出汁も丁寧に取ったし追い鰹もしたので、
うまくできた。

七十五日生き延びられようか。

 

 

 

 

 

〆鯖

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円朝師匠も10回になったので、ちょっと休んで、
今日は書いておきたいノーマル版。

3月13日(水)

地元の方はご存知であろうが、浅草には西友※がある。
ROXの地下。

出たついでにのぞいてみた。

目に付いたのは、二枚におろした鯖。

西友というのはこの辺りではここにしかないが、
近隣の他のスーパーと比べても安いのではなかろうか。

そして、スーパーにしては魚も充実しているように見える。

鯖も300円。
ものもわるくないのではなかろうか。

鹿児島産。
鹿児島というのはあまり入ってきていないかもしれぬ。

この冬は鯖がよかった。
二回ほど新レシピで〆鯖をやったが、うまくできた。

やってみよう。

こんな感じ。

昨年の12月であったか。
NHKあさイチでやっていた篠原武将氏のレシピ。
篠原氏は、懐石料理、銀座[しのはら]のご主人。

こういうものは、プロ中のプロのレシピであれば信用することに
している。
プロのレシピでは一般的にあるのであろうか、
ちょっと変わっていたので試してみたのである。

塩をたっぷりふって1時間。
そして、冷凍。
これはアニサキスを殺すため。

解凍し、酢に漬けるのだが、この酢が水との半割。
1:1。
漬ける時間は1時間。
塩抜きも兼ねているのか。

冷凍ははぶいているが、うまくできる。

半身に塩。

これはもう、分厚くたっぷり塩をする。

ちょっとわかりずらいが、これ、たっぷり、なのである。

これで私は、レシピから伸ばして2時間にしている。

水分はだいぶ抜ける。

これを洗って水分をふき取る。

ここで、水と半割の酢を用意。

漬ける。

ペーパータオルを掛ける。

これで1時間。

今まで〆鯖など魚の酢〆を作る場合は塩をして水分を抜いて、
ノーマルな酢に漬けていた。

ただ、たっぷり塩をして長時間置くと、水分は抜けるのだが
塩味が残ってしまう。
そして、酢はそのまま100%の酢。
途中で塩抜きをするのであろうが、この方法がわからなかった
のである。
水に漬けて塩を抜くと、抜けた水がもどってしまう?
のではないか。

そうであろう。
浸透圧の関係である。

どこにも書かれていないが、駅弁などの強く〆た鰺や
鯖はどうしているのであろうか。
今も謎ではある。

江戸前の鮨やでは、酢で漬けた後、最後に一昼夜干す。
これで水分を抜いているのか、、。

半割の酢で1時間。
これ、30分ではだめである。
やはり塩抜きをしているようで、30分では塩辛さが残る。

1時間。

この後、篠原氏のレシピでは100%の酢でさらに1時間。
だが、番組の中でいっていたのだが、これは省いてもよい、とのこと。
さらに酢が入るのではなく、馴らすということなのか。
どちらかといえば、後者ではなかろうか。

切る。

うまくできた。

きつくは〆ってはいないのだが、具合がいい。
塩味もちゃんと抜けている。

やはり半割の酢で漬けることによって、酢が入り、塩が抜ける
というメカニズムなのであろう。

生の光物は普通おろししょうがで食べるが、
〆鯖はわさびで食べる。
合うのだが、なぜであろうか。
しょうがであれば、酢漬けを合わせる。

安い鯖であるが、十分。
やはり、〆鯖にして、正解であった。

大きなものではないが、脂もそこそこのっている。

やはり西友、なかなかなものである。

だが、酢〆というのはまだまだ、わからない。

このやり方でも、冷蔵庫でラップをせずに一日置いたりも
している。
置くと、水分が抜けるよりも脂が酸化するのか、
生ぐささが増すように思うのである。

と、すると脂ののったものは酢〆には向かない?。
紀州の秋刀魚の押し寿司も脂が抜けているから
合うのだ、という。
そんなものかもしれない。

 

 

西友はウォールマート傘下から離れるという報道があって私もそう思って
いたのだが、昨年11月、西友は否定していたよう。(朝日新聞2018年11月7日)