浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。
 

断腸亭、京都へ その5

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祇園の板前割烹[阪川]。

湯葉の椀物、あん肝と雲子の酢の物、鰹などのお造り、
かぶら蒸し、まで。

カウンターの私の目の前に置かれた七輪。

ねぎはもうよいので、向こうに置かれた。
魚はまだのよう。

あがった。

若い衆が、もろこです、と盛り付けられたものを出す。

これも、以前にきた時にも出た。
この日記を見直したら、11月。
ほぼ同じ時期である。

もろこは、琵琶湖のもの。
ご主人の出身が滋賀県と聞いた。

琵琶湖のもろこ、というのはこの時期のものなのか。
高級魚だそうな。

魚を立てて盛り付けるのは、意図であろうが、
なぜであろうか。
かかっているのは甘酢か。

こんな小さいのだが、脂がのって、うまい。
目の前でおあずけを食っていただけあって、ねぎの焼き具合も
絶妙でよろしい。

次。

おつゆ、で、あるが、中は真薯。

上にのっているのは、里芋、海老芋、か。

これが、驚き。
なかは、蟹。

隣のお客は、大きな、ズワイガニ、で、あろうか、
を食べ始めているが、真薯の中にたっぷり。
おまけに味噌まで入っている。

負け惜しみではないのだが、私自身蟹にはあまり思入れはない。
なにしろ、殻をむくのが面倒ではないか。

おいしいところだけ凝縮されて一つの真薯のお椀に
なっている。

流石。

また出た。

これはふぐ、だそうな。
焼き白子。

塩をまぶして焼いてある。
ふぐの白子は焼くのが最もうまいのではなかろうか。
まさに堪えられない。

あれで終わりかと思ったら、これ。

これに以前にきた時にも、まったく同じものが
出たと記憶している。こうばこがに。

せいこがにともいう、松葉がにのメス。

外子と味噌を身の上にきれいに盛り付けられてある。
まさに旬のもの。

うまい、うまい。

ご飯。

ちりめん山椒。

赤だし、なめこであったか。

香の物、蕪、白菜、しば漬け、壬生菜。

これはびっくり。
ちりめんじゃこが、秀逸。

京都ではちりめん山椒は定番である。

だが、このちりめんじゃこの食感が、まさに縮緬(ちりめん)。
縮緬というのは、縮れが入った絹の織物である。
まさか縮緬を食べたことがあるわけではないが、
フワッと、シャリッと、というのであろうか絶妙な食感。
ちりめんじゃこの由来がやっとわかった思いである。

京都でもなん度もちりめん山椒は食べているが
こんなものは初めてであった。

うまかった、うまかった。

水菓子。

ぶどうやら、ゆるいゼリー寄せのような感じ。

腹も一杯。
まさに、堪能。

お会計は2万。
コースと酒。まあ、そんなものであろう。

ご馳走様でした。

立って、出る。

と、まあお約束だが、京都は必ずご主人が外まで
走って、見送りにきてくれる。
今日は、女将さんもともに。
二人で、こちらが角を曲がって見えなくなるまで。
これでわるい気がする者はおるまい。

ご馳走様です。
とても、おいしかったです。

ここまで。
トータルで、やはり京都の料理やは、素晴らしい。

東京にだってこれだけの腕と、素材を扱うところは
あるのであろうが、なんといっても厚みが違っていよう。
こんな店が、祇園先斗町はじめ、京都には数多ある。
人、職人の厚みと、歴史の厚みである。
とりもなおさず、これが文化というもの。
どうしたって、和食は京都が我が国最高峰であることは、
まったく揺るぎがない。

これが我が国が誇る、世界遺産、和食である。

 

 

 

 


ぎおん 阪川
075-532-2801
京都市東山区祇園町南側570-199

 

 

 

断腸亭、京都へ その4

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京都。

東寺で庭を見て、酒造の神様であり、京都の
古い古い神様である松尾大社を見てきた。

そこから、二条城の南隣、御池通沿いの小さな池、
神泉苑へきた。

神泉苑は昨日書いたように、平安京建設時からある大内裏だいだいり)
に隣接する天皇専用の庭であり、都の水、“水神様的”なもの、を
象徴する場所であったのである。
今の池の大きさは南北80m程度、東西40m程度と書いたが
建設当時は南北約500m、東西約240m(wiki)という。

上の地図を見ていただければわかるが、北側は二条城。
もちろん、二条城は江戸幕府の城。
神泉苑の北側の大きな部分を取り込んで作られている
のである。ちょうど今もある二条城の池のある二の丸庭園
がその場所にあたるという。

天皇家、朝廷にとってこの池は特別な場所であり、
参考書の宮元先生などは、二条城建設は幕府による意図された
「朝廷の権威を剥奪するために行った数々の工作の一環であった」
と語られている。

あるいはそういう意図があったことも十分に考えられよう。

さて、さて。

こんなところで、今日の見物は終了。
宿泊先の祇園に向かう。

二条城前から地下鉄東西線に乗って、三条京阪で降り、徒歩。
ホテルは八坂神社前のアパホテル

今夜は、随分前に一度だけ行った[阪川]

という板前割烹を予約をしてある。

場所は祇園のそれも、ホテルの裏。
好都合である。

予約は開店の5時にした。
歩いて5分もかからない。

以前に行ったのは、10年近く前。記憶もあやふや。
近くだが別の場所に変わっているような気もする。
(以前の住所を見てみると、同じであった。)
店を見つけて、暖簾を分けて入る。

名乗る。
5分前、まだ、仕込み中だったよう。

大丈夫ですか?。

まさか追い返しはしない。
いわれたカウンターの奥から二つ目の席に座る。

白木のカウンター、10席程度か。
向こう側が狭い板場。ご主人と若い衆、3~4人。
お姐さん1人(少し後で女将さん登場。)
奥の障子の向こうに座敷。(三間?)
狭い割に若い衆の数が多い。

15,000円のコースを予約時に頼んでおいた。

今日は暑いくらいであった。ビールをもらう。

すぐにお客が2人2組がカウンターに入る。
その後、奥にもお忍び風のカップルが入った。。

まず出たのは、これ。

湯葉です、とのこと。
温かく、かきたまのように、ふんわり、とろみのあるもの。
いかにも京都らしい。
(今日は場所柄、ご主人に撮影の許可をもらっている。)

箸置き。

「花より外に知る人もなし」。

あん肝と、白子、、なのだが、くもこ、と若い衆はいっていた。

あまり聞いたことはなかったが、白子の関西の言い方。
忌み言葉といってよいのかもしれぬ。

これは鱈のものであろうか。
あん肝も、くもこも、もちろんうまい。

お造り。

赤身は鰹、奥に鯛、右側するめいか、手前のうに、添えられている
海苔で巻いて食べる。

あ、、!。思い出した。
以前にきた時にもこのうにの海苔巻きが出た。
お得意なのであろう。

鰹はむろん今は“もどり”で、東京だと溶き辛しで食べることが
多いがノーマルにわさび。
いかと和えられている青いものは海藻のオゴであろうか。

ここはお茶屋へのいわゆる仕出しもしているよう。
「始まりました」と電話が入り、大きなおぼんに一杯の料理を載せ
ラップを厳重にかけて、若い衆が配達に出ていく。
なるほど、これは若い衆の数が必要なわけである。
カウンターと座敷だけではお客の数も知れていよう。
経営的にはよいのであろう。

次は、かぶら蒸し。

上にのっているのは、わさび。

これもいかにも京都の割烹料理らしい。

私はなどはまあ、京都のこんなところでないと
食べることはない。

中身はぐじ(甘鯛)。
まさに正しいかぶら蒸しであろう。

かぶら蒸しを食べるのは、かなり久しぶりである。
蕪自体も辛味が多少あったのであろうか。
わさびだけの辛味ではないだろう。
うまい、うまい。

ビールを呑み終わり燗酒にする。

京都の料理やの徳利は、この瓢箪形が多いように思う。
注ぐときに、トクトクっとよい音が出る。

少し前から、私の前に七輪が置かれていた。

小さな魚三匹と白ねぎが、焼かれている。
時折、若い衆が様子を見にくる。

 


つづく

 

 

神泉苑


ぎおん 阪川
075-532-2801
京都市東山区祇園町南側570-199

 

 

 

 

 

 

 

 

 

断腸亭、京都へ その3

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さて、引き続き、京都。

最初の目的地、東寺の庭を見て、次。
松尾大社

市バスで移動し、桂川を渡った。
渡ると、赤い大きな鳥居。

松尾大社というのは、ご存知であろうか。
お酒の神様?。

そう。酒造の神様ということになっており、
いわゆる日本酒メーカー、大小の造り酒屋では皆、
この神様を祀っている。

もう一つ、ここへきてみたかった理由は、
平安京以前からの神様であるから。

京都盆地が都になる前、歴史に登場してくるのは、5世紀、
渡来人系の秦(はた)氏が入植してからと概ね考えてよいのだろう。
そして、松尾大社秦氏氏神。(氏寺は太秦広隆寺。)

松尾大社の本来のご神体は松尾山の磐座(いわくら)、まあ、岩である。

我が国のごくごく古い信仰の対象は山であり、さらにはそこにある岩
であったところが多い。我が国の古社の多くにこの例がある。
以前に書いた長野県の諏訪大社安芸の宮島厳島神社世界遺産)、
そして先年新たに世界遺産になった九州の宗像大社、、、挙げていけば
切りがないが。

秦氏なんというものではなく、おそらく、弥生、さらには
縄文あたりまでさかのぼれる信仰の対象であったと考えられよう。

京都というのは1000年の都で、その時代とともに数えきれない神社仏閣が
できた。数々の民間信仰陰陽道、仏教、仏教でも天台、真言阿弥陀信仰、
禅宗、浄土宗、浄土真宗、、と、ある意味、我が国で最も濃厚な宗教空間と
いってもよいと思われる。
その中でも、西の山に鎮座するもっともっと古い神様。
やはり見ておかねば、で、ある。

参道。

人はまばら。

また鳥居。

奉納されている灯篭の年代を見ると古いものは江戸初期から
中期あたりからのよう。寄進者はやはり、お酒関係。

神社の場合、随神門などという言い方もあるが、ここでは楼門。

これは江戸初期という。左右に随神の像。

手水。

やはり「酒造」の名前。これも江戸期。

奉納された全国の酒造会社の酒樽。

本殿。

これは室町期のもので特殊な造りのようで、重文。

背後の山に岩が見えるが、これはそのご神体ではない。
ご神体の岩は山の右手奥の遥か山の上のよう。
(今年の台風で礼拝登山は禁止になっているよう。)

訪れる人も少なく、なんとなく、拍子抜けをした感じもあるが
お祭りや縁日でもなければ、こんなものであろう。

ここがなぜ酒造の神様になったのか。神社に伝わる由緒の類は
あるようだが、実際のところは不詳といってよいだろう。
ただ室町期には酒造神として信仰されていたという。

酒造の歴史を見てみると、古代には朝廷、その後寺院、
伏見など民間で商業的に行われるようになったのは鎌倉期で、
室町期には蔵数も急増しているよう。
松尾大社はこの民間酒造初期の頃から既に酒造神とされていた、
ということのようである。

門前の茶店でみたらし団子。

柔らかくてうまい。
東京の団子よりも一つが小さい。
京都のものはこんなものなのか。
そういえば、京都で団子を食べるのは初めてかもしれない。
焦げ目はついているが、湯煎で柔らかくしているような食感。

さて、次。
次は、神泉苑を目指す。

これもあまりご存知の方は多くはなかろう。
場所は二条城の南隣。

移動は今度は電車。
阪急で桂。桂から四条大宮
四条大宮から、大宮通を北上して御池通りまで歩く。

大宮通は先ほどバスで通った、南から大通りなのだが
この四条大宮から北へ向かって、なぜだか急に一方通行の
細い通りになる。

初めて歩くのだが、なかなか由緒のありそうな街並みである。
いわゆる京町家もちらほらと見かける。三条通のアーケードを超え、
その先、御池通に出る。これを左に曲がった右側が神泉苑

神泉苑という名前を知らない京都市民はあっても
“御池(おいけ)”を知らない人は少ないという。
神泉苑のことを御池と呼んでいたようで、御池通
江戸期には使われていた名前のよう。

ちょっとしたお宮とお堂のようなものがあり、そのまわりは、池。

私も初めてきたがこれが神泉苑
鳥居はあるが今、実際のところは、真言宗のお寺。
池の大きさは南北80m程度、東西40m程度で小さなもの。

ここがなんなのか。

東寺と同じように、平安京ができた頃からある。
その頃はもっと大きな池と当時であるから寝殿造りの
種々の建物が建てられていた、天然の庭園。

この池は、その昔、京都盆地は大きな湖でその水が引いて
残ったところと考えられている。
平安京という都市を建設するには水が必要。
この池は湧き水もあり、禁苑といって、天皇だけのための
庭園であった。場所も当時の大内裏天皇の住む内裏、その他
朝廷の施設がある場所。)に隣接していた。
天皇の園遊の場や、日照りの時には空海などによって
雨乞いの祈祷が行われるような場所であったのである。

 

 

 


つづく

 

 

松尾大社

 

神泉苑

 

 

 

断腸亭、京都へ その2

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さて、引き続き、京都。
東寺の庭。

まずもっての目的、東寺の五重塔と池の見える庭である。
Windowsのロック画面に現れた画像であった。

美しいではないか。
私のようなトウシロウが撮ってもこんな写真が撮れるのである。

この写真、撮っていて気が付いたのだが、この場のこのアングル以外
考えられないという画、なのである。
そうでなければ、この画にはならない。

ロック画面のものはもう少し、横幅が広く、右側背景に金堂の
大屋根が見えているが、まったくこの場所のこの位置に立って
この高さ、この角度でカメラを構えている。

五重塔、左側の紅葉、池、飛び石、その先の島のように見える部分、
丸く刈り込まれたつつじ(?)、そして、藤なのか棚、また右に紅葉の赤。
ロック画面のものは紅葉ではなく、青々とした緑なのだがそれでも
この絶妙配置の端正な美しさは同じである。

これらが、これ以上ないというバランスで配置されている画である。
よく、歌舞伎芝居で浮世絵のようなバランスで複数の役者が立ち、座り、
見得を決める場面があるがあれもそうである。
この庭、実際には三次元であるが、二次元に写し撮った時に、
最高のバランスになるように、設(しつら)えられているといって
よろしかろう。

つまり、そう見えるように庭を設計し、管理されている。
もちろん、偶然ではない。
これほど真剣に庭を観察したことはなく、初めて気が付いた。
こういう庭があるのである。

昨日書いた、今回下調べに使った「京都名庭を歩く」(光文社新書宮元健次

では、日本の庭と欧州の庭を比較して説明されている。
私も見たことがあり、皆さんもご存じであろうが、例えば
ベルサイユ宮殿の庭

(ちなみに、この書には東寺の庭のことは書かれていない。
そう有名なのではないのであろう。)

ベルサイユの庭には幾何学模様のように木々が刈り込まれ、
作られているものがある。
元来の日本の庭は自然をお手本とし、幾何学模様のように刈り込む
ということはしなかったという。
この東寺の庭では、丸く刈り込まれたつつじ(?)がある。
今の日本庭園でもこういう刈り込まれ方はよく見る。
大きさ、位置はもちろん熟考して作られているのであろう。
必ずしもランダムではなく、バランスを取って配置されているはずである。
ベルサイユ宮殿の庭のように完全なシンメトリーだったり、
整った幾何学模様ではないが、これは元来の日本の庭の作り方では
なかったのでは、、。

宮元先生によると、自然の木々をお手本にした元来の庭の作り方が
変わったのは、安土桃山以降だというのである。
(これには、後で述べるが、幕府作庭家の小堀遠州という名前が出てくる。)
つまり、この時期、欧州の文化が、南蛮貿易等により、キリスト教の伝来
などとともに多数入ってきたのだが、庭についても然りであったという。

この丸く刈り込まれたものもそういってよいのか。
デザイン上、黄金分割、美しく見える配置というのは、それこそギリシャ
時代なのか、古くから欧州では発見されてきている。
幾何学模様に設計するのもその行きついたところだと思うのだが、
一つ一つの石や木の配置もこれ以上ないというレイアウトがある。
安土桃山期には、そいう欧州のデザインの考え方も入ってきている
というのである。
ベルサイユ宮殿のような完全に自然ではない配置のような庭は
我が国は受け入れなかったが、考え方は取り入れていることか。

例えば、この東寺の庭がその例といってよいのかどうか、
私にはわからないが、この絶妙配置はそう考えてもよいように
思えてくるのである。

では、この庭、時代的にはいつなのか。
東寺のパンフレット、ガイドブックなどには堂宇、仏像の
ことは書かれているが、庭のことまで触れられていない。
わかっているのかもしれぬが。

五重塔は江戸初期、寛永21年(1644年)とわかっている。
まったくの私見だが、この庭を造ったのも、この時なのではなかろうか。
五重塔を考慮してこの庭は設計されていることは
先に書いたように、明らかであろう。
むろん寛永は安土桃山期にヨーロッパの作庭ノウハウが入った後である。

五重塔と庭を同時に作るというのは、考えやすいように思われるのだが。

さて、そんな五重塔

 

 

どんよりとした空でイマイチではあるが、これが新幹線からも
見える、東寺の五重塔寛永21年(1644年)国宝。

ふと、思い出したのだが、私の地元、東京上野にも五重塔があるが、
これは寛永16年(1639年)で、こちらは重文。わずか5年違い。

 

 

この写真はちょっとわかりずらいが、朱塗りの塗装などは今、修復されて
きれいになっているが、時代としては東寺の塔とほぼ同時期である。
(東寺のものも今は褪せているが元々は朱塗りのよう。)

建築様式などもまったく私にはわからないのだが、ほぼ同時期の五重塔
上野のものは、寛永寺のものといっているが本来は上野東照宮のもので
老中土井利勝の寄進。東寺は三代将軍家光の寄進ということになっている。
これだけの塔を建てるのは、もちろん東寺にしても上野東照宮にしても
幕府の直接関わる国家プロジェクトであったはず。関連はありそうである。
(・・・と、すると庭も、と思えてくる。先に述べた小堀遠州または
その周辺の関わり、への想像である。)

さて、庭はこれくらいにして、金堂、講堂と安置されている仏様を拝観。

南の南大門(重文)から金堂(国宝)、講堂(重文)と
中心線に沿って真っすぐに並んでいる。
いかにも平安初期のお寺の伽藍といってよいのか。

ともあれ。
東京からセーターとステンカラーのコートを着てきたが
もはや暑くて、どちらも脱いで持って歩くことになってしまった。
東寺終了。

さて、ここからどこへ行くのか。
松尾大社である。
場所は京都盆地の西の山裾。

京都では、北は北山、東は東山という。西は洛西という言い方はあるようだが、
なぜか西山とはあまりいわないようである。

松尾大社桂川沿いで桂と嵐山の中間。
ちょうど好都合に東寺前のバス停から松尾大社前の松尾橋行きの
バスがあったので、これで向かう。

東寺前から大宮通をまっすぐ北上。
西本願寺を右に見て、四条通まで。四条通を左折、さらに西に進む。
バスは天神川駅を回るため一度北上。再び四条通に戻り、
松尾橋終点。

桂川に架かっている松尾橋を徒歩で渡り、阪急松尾大社前駅。
コンビニで一休み。

 

 

 

つづく

 

東寺

 

 

 

断腸亭、京都へ その1

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さて、一週間のお休みをいただいた断腸亭料理日記
再開することとした。

色々考えて、結局、一週間ほどで再開しよう
と考えたわけである。

なにがあったのか、から説明をしなければいけない。
書けないこともあるが、書けることはそのまま書けばよいかと
考えた。

私事だが、この12月末をもって会社を辞めることにした。
大学学部の新卒で入社したので、今年55歳、33年になるのか。

実際には11月末で仕事はお仕舞で、12月は有給消化。
それで、先週からお休み。
京都へ行ってきたというわけである。

会社を辞めてなにをするのかというと、
実のところ、今どこかの企業に再就職といった
予定は一切ない。
いや、むしろ、したくないと思っているのが本音である。

では、なにをするのかといえば、正直のところ
具体的なものがあるわけではなく、これから考える。
だがまあ、気障(きざ)にいえば断腸亭錠志として生きていこうと
いうことである。

今まで、サラリーマンをしながら、断腸亭錠志というペンネームで
このような文章を書いてきたり、依頼があれば、カルチャー
スクールの先生だったり、ポツポツとしてきた。

子供もなく内儀(かみ)さんもいまだ仕事をしており、
幸いに住宅ローンもなく、とりあえず暮らしには困らないという
背景もある。

で、まあ、京都へ行ってきた。
目的は庭を見てくること。

きっかけは、少し前にPCを買い替えたのだが、
そこに出てきたWindowsのロック画面の壁紙。
日本庭園の写真である。
なかなかよい写真で手前に池で、左奥にちょっと古びた
五重塔が写っている。

休みになれば、これを見に行こう、で、ある。

このロック画面の写真が実際にどこなのか。
調べてみると、意外にすぐにわかった。

まずは有名は日本庭園であれば、京都であろう。
そして古びた五重塔
京都で五重塔といえば、真っ先に思い浮かぶのは
東寺ではないか。

東寺の五重塔の見える池のある庭園。
なんのことはない、東寺の庭園そのものであった。
東寺自体、行ったことはない。

京都の庭園というのは、10年も前に一度東山の青蓮院門跡
というお寺にたまたま入って、その庭に強烈な印象を
受けたことがあった。

もっと見たいと思った。だが、ほぼ機会はないまま過ぎてきた。

よし、これを機会に前にちょっとだけ見た、青蓮院をはじめ
見られる庭を見てこようと考えたのである。

時間もあまりないのだが、折角なのでほんの少しだけ
下調べをしようと、キンドルで読める京都の庭の書物を探してみた。

見つかったのは「京都名庭を歩く」(光文社新書宮元健次

この方は東京芸大卒、建築家で庭園史が専門の先生。
1962年生まれで、私の一つ上。
むろん、私は庭園史など門外漢だが、なんとなく信用できそう。

内容はかなりおもしろかった。
京都の庭を時代の変遷を追って、紹介されており、
その論も門外漢が読んでもなかなか刺激的なのではないかと
思われた。

それで、さらに折角なので、この本でももちろん触れられているが
京都の庭といえば、修学院離宮桂離宮。どちらも予約、抽選制。
ちょっとたかをくくって、直前であるが桂離宮だけを申し込んで
みた。
すると、まんまと抽選ははずれ。

と、いうことで、予約のいらないところだけをまわることになった。

12月3日から2泊。
ホテルは、祇園ホテル(アパ)が、こちらは幸い取れた。
12月に入ったのでもう紅葉の観光ラッシュも収束か。
さらに一晩だけ、以前に一度だけ行ったことのある同じく
祇園の板前割烹を予約。

3日の朝、これで、新幹線に乗ったわけである。

11時すぎ、京都駅着。
一先ずは、当初のきっかけ、東寺へ行かねば。

一駅だけ近鉄に乗って、東寺まで歩く。
雨は降っていないがどんより。
12月に入ったが、暖かい、、いや、むしろ蒸し暑い、くらい。

昼飯は東寺門前のうどんやを調べておいた。
駅から西に歩くと、名代の五重塔が見えてきた。

うどんやは、通用門らしい東寺東北の門の先。
店の名前も[東寺うどん]。小さな町のうどんやさんという感じ。

11時半すぎ、店に入るとお客はまだなし。

その名も「東寺うどん」というのをもらってみる。

海老天、湯葉、牛肉、油揚げ。
全部のせ、的か。

京都でうどんを食べるのは初めてかもしれぬ。
うどんは柔らか。
つゆは、昆布と鰹であろうか、濃いめ。
うまいうどん。

食べ終わり、もう一度門へ。

慶賀門というらしい。
通用門的に使われているようだが、これも重文。
(鎌倉期か。)流石、京都東寺。

門を入って左側、堀を挟んで校倉(あぜくら)造りの宝蔵。
これも重文で東寺最古でなんと平安期。
創建に近い時期のよう。

南側に向かって歩き、五重塔やらを見るには、拝観料がいる。
入って、南の五重塔方向に歩くと、すぐに目的の池のある
庭園はすぐ見つかった。

ロック画面画像の木は青いが、アングルもこれ。そのまま。
(当たり前か。)
曇り空がちょっと残念だが、紅葉はまだみられる。

 

つづく

 

東寺


東寺うどん
京都市南区東寺東門前町87
075-661-6116

 

 

もつ煮込み

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11月28日(水)夜~

そろそろ、季節である。

もつの見込み。

帰り道、ハナマサでもつを買う。

安くなっていた、ボイルの牛もつと、
同じく安くなっていた、生のマルチョウ。
マルチョウを入れると脂が出て、うまい煮込みになる。

それから、こんにゃく。
こんにゃくは、かさ増し。

それから、豆腐。

おでんではないが、豆腐も一緒に入れると味が染みて
うまい。

それから赤ワイン。
これは調味料として。
400円ほどの最安のもの。

にんにくと、しょうがは家にある。

帰宅。

もつは、どちらも洗って鍋へ。

こんにゃくは手でちぎって入れる。

味噌。
味噌はいつもは、八丁味噌と信州味噌の二種を
入れている。

今日は、ちょっと古くなっている味噌の処理を
考えた。
なにかというと、西京味噌白味噌である。
西京味噌というのは塩分が少ないので、冷蔵庫に
入れておいても発酵がどんどんと進む。
見た目にも色が濃く変わってくるのである。
放っておくと最後には酸っぱくなってしまう
のである。

もう一つ。
先年、東海道丸子宿のとろろ汁のセットに付いていた
米麹入りの味噌が大量に残っている。
米麹が入っていても味噌の味としては問題はないのだが
見た目にちょっと今一つ。濾すのも、あたるのも面倒。
かなりの量まだ残っているのである。

この二つを使う。
もつの煮込みというのは、甘みも必要なので、
西京味噌を使うのは問題ない。

水、酒、濃口しょうゆ、赤ワイン。
水位はひたひた程度。

ローリエ数枚。

ローリエと赤ワインは洋風のものであるが、
入れている。
もともと、私の煮込みのレシピは森下の[山利喜]のもの。
当代のご主人がフレンチの修行をされたとのことで
こうしたものを入れている。
ただ、赤ワインは、本当は甘いポートワイン。
ハーブもローリエだけでなく、いわゆるブーケガルニにして
入れている。

そして。
にんにくとしょうが。
それぞれスライス。

こんなところ。

鍋は圧力鍋。

ふたをして点火。

圧を上げて、5分。
消火して30分。

こんにゃくは長時間圧をかけてしまうと、
スが入ってしまうが、この程度であれば
大丈夫。

ふたを開ける。

味見。
まあまあ、よい感じ。

少し、砂糖。
今日は甘い西京味噌を使っているので甘みは
これで補われているので、少量でOK。
もつの煮込みというのは、意外に思われようが
甘みが入らないとそれらしい味にはならなず、
砂糖を随分と入れるのである。

圧力鍋で煮ているので、これで一先ず食べられるが
もっと時間を置いた方よい。
ボイル済のもつはよいのだが、マルチョウの方は、まだ
脂が残っている。これが溶け出るくらいまでいきたい。

切った豆腐はここで入れる。

軽く煮込んで、この夜は終了。

翌朝。
冷や飯があったので、温めて朝飯に。

マルチョウの脂が出てうまい煮込みになった。
味噌は、これでなければならない、ということは
ない。ポイントは先に書いたように甘みさえ押さえて
おけば食べられるもつ煮込みになる。

だいぶできてしまった。
しばらく食べねば。


~~~~~~~~


と、いうことで、12月に入りましたが断腸亭料理日記
明日から諸事情でお休みいたします。
再開は未定ですが数日後か、遅くとも暮れから正月と
考えています。
断腸亭

 

 

 

軍鶏鍋

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11月25日(日)夜

午後、自転車で外出。

夜は、鍋にしよう。

寒くなると、どうしても増えてくる。

なにがよかろう。

この間は、池波レシピ「蛤の湯豆腐」をしたが、、、

!。

池波レシピの大横綱「軍鶏鍋」にしようか。

いわずと知れた「鬼平」に登場する、
本所二つ目、軍鶏鍋や[五鉄]。

今の町名でいえば、墨田区両国四丁目。
首都高小松川線が上を走る堅川。
堅川は隅田川から旧中川までの東西の堀。

(2010年の講座「池波正太郎と下町歩き」で使った地図もの。
http://www.dancyotei.com/2010/jul/kouza4.html )

隅田川から南北に堅川に架かる橋を隅田川側から順番に
一つ目、二つ目、三つ目と呼んでいた。
一つ目橋、二つ目橋、で、ある。
同時にこれは南北に走る通りの名前でもあった。
今も残っているのは三つ目通り、四ツ目通り
二つ目は清澄通りといっている。
橋の名前も、二つ目ではなく今は二之橋。

その二つ目橋の北詰にあったと池波先生が設定したのが
軍鶏鍋や[五鉄]。
[五鉄]は盗賊改の役宅のサテライトともいえる
重要な場所。密偵の彦十やおまさが寄宿していたり。
この界隈は堅川を渡った南側に弥勒寺という当時は
大きなお寺もあり、ここも「鬼平」の舞台として
よく登場している、そんな場所。

軍鶏鍋というのは、昔の東京下町では定番の食い物であった。
軍鶏鍋やというのも数多くあった。
現代まで続いている老舗も多くはないがある。

[軍鶏鍋]は実のところ、季節は冬ではなく、夏。
今は冬のものだが、昔は夏のものであったというのは多い。
甘酒なども夏のものであった。
真夏に熱いものを汗をかきながら食べて元気をつける、
という意味合いである。

と、いうことで本来は夏のものであるが、
「軍鶏鍋」。元気も付く。

材料は鶏肉、これはももでよろしかろう。
それからモツ。
レバーなどであるが、必須。
昔から軍鶏鍋にはモツも入れるものであった。
それから、鶏皮。
脂が出るので、これも必須。
ようは、鶏全部、ということではある。

野菜は牛蒡(ごぼう)。
笹掻きにして入れる。
むろん今は牛蒡も年中あるが、新牛蒡が出てくるのは
夏である。

毎度書いているように、池波レシピの鍋の野菜は
一品でよいのだが、まあ、ねぎも入れようか。

鶏皮は冷凍庫にあったので、それ以外を買って帰宅。

下拵えは牛蒡の笹掻きぐらい。
洗って、笹掻きにし、水に浸しておく。

ねぎは切るだけ。

鶏もも肉と皮。

レバー

普通、鶏レバーとして買うとパックには円筒形のような
もの、心臓、ハツが入っているがこれがけっこう脂があって
うまいのだが、今日のものには入っていなかった。
モツはこれ以外に、キンカンなども入れてもよい。

それから笹掻き牛蒡。

斜めに切った白ねぎ。

これだけである。

鍋は、底の浅い鉄鍋。
そう。なんのことはない、すき焼きなのである。
軍鶏鍋やでも「鶏すき焼き」と名乗っているところもあるくらい。

火はカセットコンロ。
鉄鍋を熱して、皮を入れ、脂を出す。

すき焼き同様、煮るのは割り下。
雷門の[松喜]のすき焼き用の割り下があったので
これを使う。

材料を全部入れ、割り下も。

レバーの方が先に火が通るので、先に正肉を入れてもよい。

煮えてきたら、溶き玉子で食べる。
これも牛すき焼き同様。

まあ、考えてみれば、レバーなども含めた
鶏肉の甘辛煮、なのであるが、これが軍鶏鍋。

玉子で食べるので、親子丼の元といってもよいのではなかろうか。

鶏の脂たっぷりなのがポイントであろう。
これがなにしろ、うまい。

また、牛蒡。
牛蒡というのは、脂との相性が抜群によい。
これももう一つのポイントである。

鬼平軍鶏鍋、たまにはよいもんである。